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#19|好きなことには真っしぐら

そんなお騒がせなADHD長男も、高校受験のシーズンに入った。
成績はクラスの底辺を行ったり来たり。宿題の課題が終わらないので、地元の小さな塾には通わせていたが、そこの先生がこれまたものすごく熱心で、長男が塾に忘れていった制服のYシャツにわざわざアイロンをかけて返してくれるような方だった。(その後次男の時にもお世話になりたかったが、すでに塾は閉鎖されていて、また長男が負担になったかとふと思った)

地元の中学では進学する高校が大体決まっていて、成績ごとにカテゴライズされてしまう。長男とその仲間達は二つ離れた市の私立高校受験組に自動的に組み入れられた。だが、それにはまたしても意義を唱え、長女が通った隣の市の私立も受けさせて貰えるよう、担任に申し入れた。

結果は隣の市の私立は2回受験の末だったが、県立前後期含め5戦3勝、受けた全ての高校に合格出来た。学校の貼るレッテルなんて、アテにならないと言う事だ。

中学時代は何かと締め付けがキツく、側から見ていてもあまり楽しそうな学校ではなかったので、県立高校に通い始めた長男はそれこそその自由に羽ばたいた。国語がまぁまぁ出来るくらいであとは相変わらず底辺の成績だけれど、「ボク、製図の実習は一番早いんだよ!」え???そーなん。。。

中学時代、小規模校ゆえ選べる部活が5種類しかなく(なんとサッカー部がなかった!)仕方なく入っていた運動部もやめ、ゆるい美術部に。出来た時間は相変わらずのゲームと、全国を飛び回る「ラブライブ!サンシャイン!!」の追っかけに費やされた。

持ち前の社交性と行動力で、親も知らない間に全国に友達が出来たそうで、高校にとどまらず社会人もたくさんいるらしい。あっという間に部屋がグッズで埋まった。

ただ、通う高校は山を下り、川を越え、また山を登った中腹にあって、地元高校生たちは皆自転車でその山川を越えて学校に通う。長男の自転車タイヤのパンクの多さは尋常ではなかった。我々の住む集落から市街地に降りる坂は「トンビ坂」と言われ、利根川から赤城山に広がる河岸段丘の急斜面は、地元高校生男子なら一度はカーブを曲がりきれずにクラッシュする名所だ。

そんな急斜面を毎朝遅刻ギリギリにタイムトライアルする長男は、とうとう歩道の石ころを拾って自損、流血する高校生に通りすがりの人たちが救急車を呼んでくれて、近くの総合病院に搬送。この時も手の軽い縫合で済んでいるので、つくづく長男は運には見放されていない。

やりたいことには真っしぐら

びっくりするような行動範囲を持ち、好きなことには真っしぐらな長男も、生徒の9割が就職する工業高校にあって、やりたいことが見つかっていなかった。が、3年生になって「オレ、美術がやりたいかも」と言ってきた。アニメ好きなので、自然な流れだった。リアル「ブルー・ピリオド」である。

3年の9月に「国公立大学を受けさせてください」と工業高校で言うのは、校長先生から集まる会議に諮らなければいけない程の騒動だった。3年の夏には就職先が決まる同級生が多い中、それでも担任の先生は描いてきた絵を見て「お前はこれがやりたかったんだ。。。」と言って協力してくれた。

受験用のデッサンは、3年の春から夜間部に通い始めていたけれど、その年の秋に出展した美術部での作品が良かった。柔らかい色で描かれた繊細な油絵は、決して受験に有利なキレキレの絵ではなかったけれど、「この子を産めて良かった」と心の底から思える優しい絵だった。

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