どこからはじめましょうか

一年前くらいに、noteに登録。
少し、思うところをメモ的に書き始め、
継続できなかった要因を探っている。
FBも、Xも、投稿は継続しているのに。
なぜか?、と。

ひとつは、文字が苦手であること、
プロット構築も、苦手であること。

あとは、なんだろう。。。

まずは、やってみて、つづけてみることができなかった理由。。。

たぶんそれは、
まわりを意識しすぎ。
だったのではないだろうか。

読まれもしないのに、
どう思われるもなにもないのだと思うのだけども、
おそらく、当時は、それが、こわかった。
こわいと感じる環境にいた。
ということだろう。

どこかで、
なにか、ねたみのような、
なんで、あのひとは?なのに、自分は、と感じる劣等感。
みにくい心、せまい心
どうしても、ネガティブな言葉が先にでてきてしまう。

この一年の変化は、
そういったことをまわりにもらすこと、
時間をとらせること、は、
相手の時間をもらっていること、
もったいないこと、だと、
思うようになったからかもしれない。

死期がせまってきているひとに、
そんな、くだらない、といったら、身も蓋もないけれども、つまらない、でも、それが、自分では、悩みだとそのときは思っていて、ただ、愚痴を言う。

そんなことよりも、もっと、
一緒にすごす時間を、
楽しいことであふれさせることのほうが、
楽しいのに。

とどのつまり、
もんくたれてる、もんくじじいと、
同じで、
自分のことしか考えていない、
自分のことを、もっとみてくれ、と、
まわりをおとしめる言い方をして、
自分を持ち上げようとしてきたのではないか。

なんという、みじめな。
なんという、あほな。
ただのおこちゃま。

なめくじに塩かけて、むにむにするように
しおしおを傷口にぬりこみ、ぎゃふんといわせてしまいたい心境。

ネガティヴなことに、
時間と労力をとられていられるほど、ひまではないはずだし、なぜ、そこに、気を取られるのか。

原因は、過去のトラウマにある。
でも、その同調圧力を受けた過去は、
のりこえなくてはならない。

まずは
ネガティヴワードを発しない、
思考しないように訓練するところから
はじめてみよう。

言霊は大切。

一日は24時間。
有限。
とらわれることなく、
やることをやる。必要なことをやる。
技術身につける。
どんどん広げる。広がることを恐れない。
なぜなら、かならず、
1+1は、♾️になるひとたちと巡り会えるから。

そして、2024年度は、
その旅のプロセスを、記録に残していこう。





よろしければ、サポートお願いいたします。自立にむけて、がんばります。