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無為

・「恋は死よりも強し」というのは、モーパッサンの小説にもある言葉だ。が、死よりも強いものは言わずもがな恋ばかりではない。
たとえば、ある患者が菓子ひとつを口にしたために知れきった往生を遂げたりするのは、食欲がまた死よりも強い証拠だ。
食欲のほかにも数えあげれば、睡眠欲だとか、忠誠心とか、宗教的感激とか、人道とか、利欲とか、虚栄心とか、犯罪的本能とか、――まだまだ死よりも強いものは沢山あるのにちがいない。つまりあらゆる情熱というものは死よりも強いのだろう。もとより死に対しての情熱は例外であるけれども。
そしてまた恋はそういう情熱のうちでも、とりわけ死よりも強いかどうかというのは、迂闊に断言してはいけない。一見、死よりも強い恋とみなされやすい場合でさえ、じぶんを支配しているのはいわゆるボヴァリズムだからだ。じぶん自身を伝奇のなかの恋人のように、やたらエモーショナルに空想してしまう感傷主義なのだ。

・ぼくたちがこころから憂虞しているのは、死ではなく無為だ。無為におかされた人間というのは、幸福という観念さえも疫病のように怖れるようになる。自らの無為に苦しみ、はげしい劣等感に襲われて、無為がじぶんを蝕んで殺してくれることを夢みる。しかし無為はひとを殺しはしない。そのためには自殺が要るからだ。そして自殺のためにはその勇気が。そうして無為というのは、生かさぬように、殺さぬようにと、ボディーブローのように切ないところを殴打してくる。
そのころ当人に映る世界のすがたというのは、登攀のよすがもなく、ただ一様に直面しているほかない巨大なつるつるした壁だ。そしてそれは、酷くさえない。

・ぼくの文章はどうしても、とりとめのないものになってしまいます。

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