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【エッセイ】言葉の持つちから
心に深く残る言葉とはどんなものだろうか。
嬉しい言葉?
悲しい言葉?
優しい言葉?
厳しい言葉?
人それぞれ心に残っている言葉は違うだろうが、僕の心に一番深く残っている言葉はなんだろうかと考えてみた。
そして思い至るのは、祖母が言った「しん太は言葉が優しい」という言葉だった。
祖母はすでに亡くなっているのだが、これが最後の言葉というわけではない。
なんなら僕が直接聞いた言葉でもない。
病院のお見舞いに行った母が帰ってくるなり「おばあちゃんがしん太は言葉が優しいって言ってたよ」と又聞きしたくらいである。
しかしなぜそんな言葉が残っているのかと言えば、恐らく、たぶん、その言葉が嬉しかったからだろう。
僕は普段からできるだけ優しい口調を心がけている。
単純に「ばか」とか「ぼけ」とかそういう言葉よりも「ありがとう」とか「ごちそうさま」の方がもらって嬉しい言葉だからだ。
世の中には強くて暴力的な言葉が多いと感じる。
僕だって気を付けていても、時として使ってしまうことはある。
でも、その言葉は決して誰も幸せにすることはできない。
もし、罵詈雑言を発して何者かが幸せになれるのだとしたら、それはここでいう幸せではなく単に気持ちよくなっているだけだ。
ただの言葉のオナニーか、または特殊な性的趣向だろう。
僕は言葉の力を信じている。
言葉には人を幸せにする力や、世界を良くする力があると考える。
反対に人を傷つけ、世界を悪い方向に導く力もある。
だからできるだけ優しい言葉を使うようにしているのだ。
きっと僕一人が優しい言葉を使ったところで、何がどう変わるなんてそんなことはないだろう。
自分ごときに世界と言う大局の流れに抗う力はない。
命をかけて行動を起こせばもしかしたら小さなさざ波は起こせるかもしれない。
だがそれも、あっという間にまた大局の奔流に飲み込まれるだろうし、そもそも生きていたい。
じゃあ生きながら世界の流れを変えるにはどうしたらいいのか。
僕は、小さな言葉ひとつに思いやりや労りを込めて、みんなが少しずつ使うようになれば、それだけで世界は少し変わるんじゃないかと思っている。
全員が一言ずつで構わない。
優しい言葉を使えば、きっと少し世界の流れに変化が生まれるんじゃないか。
そう信じている。
理想論だろうか。
ああ。理想論だろう。
でも、理想を抱いて何が悪いのだろう。
僕は言葉の力を信じている。
僕はほんの少しだけでも世界が幸せになると信じて、今日も、これからも優しい言葉を使っていきたい。
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