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『来ぬ人を まつ帆の浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ』権中納言定家

《意味》
いくら待っても来ない人を待つ私は、松帆の浦で夕凪の頃に焼かれて焦げる藻塩のように、切なさで身も焦がれる想いでいるのです。

待っても待っても来てはくれない恋人。来ないとわかっていても待ってしまう。ただあなたに会いたいと願う、祈りの一首です。


この歌の作者・藤原定家は、今更ご紹介するまでもなく、この小倉百人一首の撰者。父である藤原俊成の「幽玄」という歌風を継ぎ、そして「歌には深いこころと高い風姿、芸術的な美があるべきである」という理念「有心体」をとなえました。

「松帆の浦」とは、兵庫県、淡路島の北側の海岸。そこでは夕方の風の止む時刻の頃に海女たちが藻を焼いて塩を作っていました。その光景は万葉の頃から歌の題材となっており、その海女を恋い慕う男性の歌が万葉集に収められています。

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