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『浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき』参議等

《意味》
浅茅の生えた小野の篠原の「しの」という言葉通り、あなたへの恋をずっと忍びに忍んできたけれど、もはや堪えきれなくなって、どうしてこんなにまであなたが恋しいのでしょうか。

忍ぶ気持ちと溢れる想い。初々しいまでの恋が、しかし、寂しい一首です。


「どうしてこんなに好きなんだろう」
溢れ出して抑えがたい想いというのは、誰しも経験があるのではないでしょうか。

「浅茅生の小野の篠原」というのは序詞といい、「しのぶれど」の「しの」を導くための言葉で、そのものにそこまでの意味はありません。
この歌で言いたいのは「しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき」。あなたへの想いを秘めて内緒にしていたのに、その想いも「あまりて」、堪えきれずあふれてしまって、どうしてこんなにもあなたが恋しいのだろう、ということ。
「あまりてなどか」は本来「あまりて」と「などか」に分かれる言葉です。それが一つの区切りの中にぎゅっと閉じこもっていることで、息つく間も無く言葉を継いでいるように感じさせ、勢いを生み出す。
17文字の中に想いの強さ、勢いがぎゅっと閉じ込められています。

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