『わが袖は 汐干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし』二条院讃岐
《意味》
私の袖は、潮が引いた時でも海の中で見えない沖の石のように、誰も知らないでしょうが、いつも涙で乾く間がないのです。
「石」と「袖」と「恋」
およそ結びつきそうもない3つを、見事繋いだ技ありの一首です。
この歌は「石に寄する恋」というお題に沿って詠まれたものです。
突拍子もなく思えるこのお題で、作者・二条院讃岐のこの歌は評判となり、「沖の石の讃岐」と呼ばれるほどになりました。
「石」今では恋とは全く結びつかず、石に石以外の世界を描くことも難しく思えます。
しかし、国歌の中に「さざれ石」が出てきて長い年月を意味していたり、中国に「望夫石」という、夫の帰りを待ち続けて石になってしまった妻の伝説があったり、「恋する女性が長い間待ち続ける」というイメージが、この頃あったのだと思います。
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