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書けなかった5年間

23歳の時に書いていた昔のnoteアカウントが出てきた。もうログインの仕方も忘れてしまったが、そこにある記事を読むと、まるでタイムカプセルを掘り起こしたような気持ちになる。カナダで大学院進学をした2018年の夏を境に、更新は途絶えている。

noteを離れていたこの5年間の間、日本語でエッセイや小説を書くことが満足にできていなかった。カナダでの生活で当たり前のように英語でのインプット・アウトプットをしなければならない場面が生活の中で多かったせいもある。けれど、根本的な理由はそこにはない。今振り返ると、今までの5年間は、自分という人間の基盤がぐらぐらと不安定になっていた期間のようながする。納得のいく文章が書けていなかった原因も、多分それ。

2018年の夏、私は4年間のアメリカ留学を終えて、日本に帰国した。成田空港に着いた瞬間から待ち構えていたのは、ものすごい湿気と、かなり手強い逆カルチャーショックだった。

就職先などちゃんとした所属先が決まっていない中で帰国したせいか、自分のよく知っている母国のはずなのに、居心地が悪くてたまらなかった。自分の将来が見えないことへの不安に、日々息が詰まった。バイトを掛け持ちしていたお陰でささやかな収入はあったが、日本ではレールを一度外れると「同世代の普通」に戻るのはほぼ不可能なのだと、心底思い知った。日本でよく言われる同調圧力を、自分が自身にここまで覆い被せて自責することになるとは想像していなかった。一年だけと決めていたからなんとかなったか、それ以上は多分精神が保たなかっただろう。自信を喪失した状態で、いいエッセイが書けるはずがない。

カナダに来て、大学院生としての生活にようやく慣れてきた2020年の春先、突然世界がロックダウンになった。変わらぬ大自然の景色を横目に、現実逃避がわりの学業に没頭していたら、予定より早く卒業が決まった。結局地に足つかないまま、現地での就職も決まった。

社会人になってからも、人生初のパートナーができてからも、ずっと自分自身でいられていなかったように思う。常に立ち回りを気にして、大事な職場の人や恋人という「他人」に受け入れてもらえるよう、自分の本心にずっと蓋をしていた。だから何を書いても、嘘だと思った。

怪我の功名として、書けない状態が続いていたからこそ、音声配信という、考えを気軽に表に出す方法に出会えたとも言える。そこはいい発見だった。

どんなに言葉を尽くしても、自らの「芯の部分」に自身で触れることができないでいると、納得する文章なんて何ひとつ書けない。自分の軸がずれたり、自分の輪郭線がグジャグジャになる経験は、誰しも生きていたら何度かはあるだろう。でもそこから再構築された自分だからこそ、正直に書けることがあるのかもしれない。

最後に、私の友人の一人は、以前こんなことを言っていた。

 書きたいことはたくさんあるのに、今は書けないの。挑戦しても、自分の大事な思い出を、こんなふうには言葉にしたくないって思って、途中で消してしまう。
 赤ちゃんの頃、私は発話が遅くて、3歳になっても全然喋らなかったんだって。両親はお医者様に私を診せたけど、どこにも異常はなかった。でもある日とつぜん、コップの水が溢れたように、フルセンテンスで話し始めたんだって。それからは滝のように、ずーっとおしゃべりしてる子になった。
 だから今は、コップの水が溢れるのを待っているんだと思う。いつか時が来たら、また書けるようになると思う。

私の記憶の中の、友人Aの言葉

この記事が、今は書きたくても書けない人に届きますように。


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