漫画家になると言う夢への逃避

夢を持っていることが凄いのではなく夢に向かって努力を継続する事が凄い

プロフィールでも少し触れていますが私は高校2年の時に漫画家になりたいと言う夢を持っていました。実際その事を親にも伝え東京の専門学校の資料を取り寄せ、新聞奨学生として住み込みで働きながら頑張る!と親を説得し承諾を得ました。思えば良く許してくれたなぁと思います。

「夢を持っている」という免罪符

しかし今思えば「漫画家という夢」は嫌いだった勉強から逃げるための手段でした。

「自分は漫画家を目指すから勉強はしなくて良い」と思うようになり、それまでも悪かった成績は軒並み下がり三年になった頃には7割くらいは赤点になりました。結局補習や提出物などで何とか卒業しましたが何のために学校に行っていたのやら情けない気持ちです。

卒業した私は上京して住み込みで新聞配達をしながら漫画家コースのある専門学校に通っていましたが冬頃から休みがちになり2年目にはほとんど行かない状態で販売所ではゲームばかりやっている日々を4年間過ごしました。この後一人暮らしをした時も、同じ学校だった友達とルームシェアで過ごした時も「一人暮らしするのは漫画を描く事に集中するため」「同じ漫画家を目指す友達と一緒に住んでお互いを刺激し合うため」などと『夢を持っているからその為にこうする』という免罪符を振り回して自堕落な生活を続けました。

結果は日々アニメを見たりゲームをしたり気分が乗ったときにイラストを描いたり漫画家を目指していると言いながら原稿を描き上げた事は無く本当にただ『夢を持っている』と語るだけの凡人がそこにはいました。

夢は持つだけじゃなくて行動して掴み取るもの

結局漫画家になると言う夢を語るだけで自分は目標を持って生きていると思い込もうとしていただけなのかもしれません。逃げるために夢を語っても何も得るものはなく、ただ時間を浪費するだけ。挙げ句にはパチンコにハマりお金も浪費する始末。

夢とはどうなりたいか?どうありたいか?を明確にしてそのためにはどうすれば良いか?を考えて行動した先に掴めるものだと思います。自分にはそれがなかった。

才能とはすべての人に備わっていてそれをどう磨き活かすか?凡人が凡人である理由は自分の中にある才能に気付かず、むしろ蓋をしてしまっているから。

更に、自分にはできない、あの人は特別、どうせ無理・・・そう言って自分から才能を潰した挙げ句に他人も自分と同じなのだから夢なんて叶わないから諦めろと言うドリームキラーへと変貌する。

お互いの夢を潰し合うドリームキラー達。

その不毛な争いに参加しないただひとつの方法、それこそが明確な目標に向かって努力し続けること。

誰に何を言われようとも自分が決めたのならやり続ける。紆余曲折があっても良い。途中で違う夢に変わっても良い。あなたが自分を信じて進むならそこに光は射している。


ここまで読み進んでくれた方へのメッセージ

私のように夢を何かから逃げるための手段として使うのではなく自らが進むための指針として使って欲しい。

夢を逃避のための免罪符に使ったとき、成長は止まり他人や社会のせいにして人の夢を喰らうドリームキラーとなる。そうならないことを切に願う。


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