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「きらい」について思うこと

『はせがわくんきらいや』という絵本を読んで、自分が学生の頃「学校しんどい」と感じた理由が見えた気がしました。 この絵本は1976年、絵本作家である長谷川集平さんのデビュー作として出版されています。絵本の主人公である「ぼく」と同級生の「はせがわくん」の交流が描かれているのですが、「はせがわくんきらいや」と言う少年の正直で素朴な感情がひしひしと伝わってきます。その状況ならそう言いたくもなるよね、と滑稽にさえ思えるような、等身大で一生懸命な少年たちの日常が描かれています。「はせが

    • 生きるための学び

      ニンジャ寺子屋は4月に開校したメタバースの学校です。活動するたびにつながりは広がり、参加者は増え続けています。 寺子屋生として、小学生から高校生までの子ども達が参加しています。こちらはまだ、学校といえるほどの組織的な動きはできておらず、まだ試行錯誤の段階です。 ですが、広く誰もが参加できる「公開授業」を開催できる「場」としての寺子屋は、かなり形が出来上がってきました。ここでは誰もが「講師」として、自分の学びを世界に発信することができるのです。 現在、教師の方をはじめ、い

      • はじまりの季節

        一歩踏み出す今日にオススメの一曲 Mrs. GREEN APPLEの『StaRt』という曲ですが、吹奏楽アレンジを投稿されている方の作品に元気をもらったのでご紹介させていただきます。 4月、春になり、何か始めようと思う気持ちを盛り上げてくれる、そんな一曲だと思います! i.noteP:柏木希 [吹奏楽アレンジ]StaRt/Mrs. GREEN APPLE https://www.youtube.com/watch?v=IP5dGc8vVi8 私は最近、「ニンジャ寺子屋

        • 小説『ジミー』を読んで癒されたこと

          青海エイミーさん この小説の作者である青海エイミーさんを知ったのは、1年ほど前、noteでエイミーさんの文章に出会って、なんだかとても感動したのを覚えています。マレーシアでクンダリーニヨガの講師をされているというエイミーさん。自分とは何の接点もないエイミーさんの紡ぐ言葉が、なぜか自分のとても深いところにある感情をくみ上げてくれるようで、以来時々noteを開いては、エイミーさんの文章に癒されていた自分です。 そんなエイミーさんが小説を書かれたということ、そしてそれがすでに多

        「きらい」について思うこと

          反転授業のオンライン講座に参加したこと

          私は最近、「反転授業」を学ぶためのオンライン講座に参加しました。 約5週間の受講期間を終えて、自分の「学びのシェア」としてこの記事を書きたいと思います。 私が得たものずっと抱えてきた違和感、ずっと晴れなかったモヤモヤ。 言葉にならなかった思いたちが、少しずつ言葉になっていくこと。 閉じ込めていたものを放出して、心が晴れていくことの爽快感。 ありのままの思いを伝え合える仲間ができたことへの感動。 自分の思いを伝えることが、誰かにとって未知への気づきになることのうれしさ。 自

          反転授業のオンライン講座に参加したこと

          クラウドファンディング応援中!!

          私が応援する理由…私は現在不登校の子どもと暮らしていることから、学校外での学びの可能性に大変興味があって「反転授業の研究」というFacebookグループに参加しています。 グループを立ち上げた田原真人さんからご紹介いただき、中村みちよさんの活動を知りました。 中村さんは、宮城県気仙沼市で「フリースペースつなぎ」を運営し、不登校、ひきこもりの子どもたちの安心できる居場所作りの活動をされています。 フリースペースとして使っている建物が、利用者数の増加などで手狭

          クラウドファンディング応援中!!

          学びのシェアレポート「ありのまま」の探求

          はじめまして はじめまして、あすままです。 子どもが不登校になり、抱えきれない悩みを誰かと分かち合いたくて、「Mix不登校から考える会」というコミュニティを作り、いろんな方とお話しするようになりました。 自分の探求からの学びと気づきが、他の誰かにとっても「新しい生き方」へのきっかけとなることを願ってシェアしたいと思います。 この動画の音声はすべて、無料で使えるWeb音声合成サービス『CoeFont STUDIO』(コエフォントスタジオ)を使わせていただいております。

          学びのシェアレポート「ありのまま」の探求

          「思考のOS」への気づきからの「自己肯定感」

          「スピノザ」という哲学者をご存知でしょうか。 あまり聞いた事のない方が多いのではないかと思うのですが、数々の業績を残した天才物理学者「アインシュタイン」にも影響を与えた、実はすごい人なんです。 アインシュタインは科学の教えるところと聖書の記述との間の矛盾に気付き悩み、宗教には否定的だったそうです。 そのアインシュタインが「私はスピノザの神を信じる」と言ったとか。あのアインシュタインが唯一賛同した神の概念、スピノザの「汎神論」、興味深いと思いませんか?

          「思考のOS」への気づきからの「自己肯定感」

          ホームスクーリングとギフテッド

          ギフテッドとは?「ギフテッド」という言葉をご存知でしょうか? Twitterでのある一連のやり取りから新しい気付きをいただいたのでnoteを書いてみました。 きっかけはこちらのツイートを見て、私が以下のようにツイートしたことでした。 ▼私のツイート 「ギフトというほどの能力は持ってない気もするし、でも当てはまる部分が多い気もするし…Giftedを自称するにはおこがましい気もするし、でもこの情報は知っていて損はない、という気がするわが家です」 ▼これに対して、あるご意

          ホームスクーリングとギフテッド

          なぜ生きる

          私とは何か。 物心ついたときから考え続けていた。 「女の子でしょ」 母にそう言われる毎に腹を立てていた。リボンやレースのついた下着や洋服、スカートなどは「着たくない」と駄々をこねていた。 自分が女性なのは事実。けれど「女性らしさ」を他人から求められることに強烈な嫌悪感を感じていた。 その他にも「慣例に習う」「しきたりを守る」ということにも嫌悪感があった。当たり前のことにいちいち疑問を感じてしまう。 アマノジャクなのだ。 「本当にご飯は三食決まった時間に食べるのが一

          なぜ生きる

          スイミーから考える

          2年生の教科書で見た? 出典:http://www.amazon.co.jp/ スイミーは逃げ足が早いスイミーはたくさんの赤い魚の中で一匹だけ真っ黒。 そして逃げ足が速い。 スイミーの群れを襲った「大きなまぐろ」から逃げられたのはスイミーだけでした。 なぜ逃げるのか単純に「大きなまぐろ」に襲われたら怖いと思うし、食べられたくはないですよね(^_^;) だけど、食べられること自体は自然界では当たり前の事で、「小さな赤い魚」は「大きなまぐろ」の一部になった、ただそれだけ

          スイミーから考える

          現実を受け入れる

          なぜ生きる最近ある法要に参列した際、お寺の住職のお説教で大変驚いたことがあります。「歳をとって、段々と生きる意味を考えるようになりました」 え?! こんなにも熟年で、徳を積んできたであろう住職が、最近に至るまで「生きる意味」を考えずに生きてこられた?! はたしてこの方がのんきなだけなのか、普通とはそんなものなのか、私にはさっぱりわかりません。 私は物心ついたときに思った記憶があります。「なんのために生まれてきて、なんのために生きるんだろう?」そして大人はあれこれ指示を

          現実を受け入れる

          助けを求めるということ

          汚いものにフタをして、したたかに生きられる人だけの社会が出来上がってはいないだろうか。 マイノリティ、社会的弱者。そういう人達が表だって理解を求めたところで、白い紙に黒いインクがにじんでいくかのように、社会がむしばまれる感覚で見る人も多いのではないだろうか。 わが家は今、不登校の問題に直面している。 社会でも不登校が増えていることが問題にされているけれど、実は不登校は問題ではないのだ。学校へ行かなくても学べることは多いし、不登校でも自分らしくちゃんと育つ子も多い。 問

          助けを求めるということ

          普通ってどんな感じ?

          HSPな自分ひと一倍敏感な人、HSPという概念があることを知るまで、自分の感覚が周りと違うことにずっと悩んでいました。 小学校、中学校、特に高校はしんどかった。 おしゃべりが楽しい?! 学校が楽しい?! みんなでカラオケが楽しい?! なぜみんながそれを楽しめるのか、楽しめない自分がおかしいのか。 鬱病なのか。でも物心ついたときから鬱病が続くってことはないはず…食欲もあるし。 なにかの障害があるのか。でも勉強はできなくもないし、がんばれば一応場に馴染めるし。 要するに、

          普通ってどんな感じ?

          HSCを知ってほしい

          個性が障害になるときもしも。 腕がなかったら。 足がなかったら。 目が見えなかったら 。 耳が聞こえなかった。 脳の機能がうまく働かなかったら。 それらは単なる個性とも言えます。 そんな人もいる、そういうことです。 しかし。 「みんなとちがう」ことは、「みんなには使いやすいものが使いにくい」ということにつながります。 みんなとちがう、工夫や、努力や、他者の助けが必要な時もあるのです。 だから、「みんな」に当てはまらない、助けの必要な個性を「障害」と定義することで、

          HSCを知ってほしい