休職日記:発信は怖くないし、「助けて」と言えるようになるなんて

休職期間中は毎日書くぞ!と決めても、結局夜に書くとなると「何を書こう・・・」となってしまうのが常。
本当は日中にしっかりテーマを決めて、書きたいところ。
という言い訳をしつつ、今日もつらつら書きます。

震災を経験して、自分の変化がいくつかありました。
1つは、発信に怖がらなくなったこと。
このnoteを書こうと思った時からかもしれませんが、地震が起きた瞬間から、高校時代のLINEグループが動きました。
そこでは、「やばい」「避難してる」「〇〇の駐車場は空いてる」などリアルタイムに15人近くでやり取りをしました。
それ以後も、役立ちそうな情報や、時にはデマ情報も含めて毎日やり取りをしていました。
発信する人、返信をする人、リアクションする人、しない人。いろいろいました。
私はその中でも、盛んに発信する方でした(震災後の軽躁でもあります)。
元々発信は好きだと思いますが、仕事場で「ちゃんと書かなきゃ、明確に役立つようにしなきゃ」という思いと、一番は「誰も反応くれなかったら辛い」という気持ちが大半を占めていて、発信をためらう場面が多かったです。
この被災した中でも、「この情報、誰か役に立つかな?もう知ってるかな?邪魔じゃないかな?」など発信の前に躊躇することもあり、投稿をやめようかと思うこともありました。
でもnoteを書いていたことも手伝って、「誰の役に立つかはわからない。もしかしたら、ここにはいないけど、これを見て広めてくれた先で役に立つかも」と思えるようになりました。
少し視野が拡がったのでしょうか。
実際に14〜15人いたら、1〜2人実際にその情報を活用してくれました。
「誰も反応くれなくても、いつか思い出してくれたり、どこかで話題になっているかも」
そう思うことで、発信が怖いと思うことが減りました。
これは本当に仕事の場面でも繋がってくれるといいなと思います。

もう1つは、人を頼れるように、甘えられるように、それを言葉にできるようになったことです。
精神疾患を抱える方の中には、周りに迷惑をかけたくなくて、なかなか頼れず、一人で抱え込んでしまう、という方も少なくないのではないでしょうか。
私もその一人です。
今回、様々な方から心配の連絡をいただきました。
その時に、「大丈夫?」と聞かれたこともあったのですが、なんと答えれば良いかわかりませんでした。
今は命は無事、実家の家屋は立っているけど傾いているからこれからが心配、今は余震がないけどこの先も無事だなんて保証もない。
これを「大丈夫だよ」と一言で済ませるには、気持ちがざわざわしました。
「能登はやさしや、土までも」という言葉は能登の人にとっては必ず耳にする言葉です。
それくらい優しいし、とにかく耐える。
自分より大変な人がいるから、自分が大変だと言えない人も多いと思います。
そういう特徴がわかっているから私は、「大丈夫じゃない。助けて欲しい」
おこがましいですが、他の人が「大丈夫」と振る舞ってしまうなら、私は助けを求め続けて、この地域を守りたいと思いました。
連絡をくれた人には必ず「ありがとう。頼らせてね」と返しました。
頼られるってたぶん、大体の人は悪い気しないんですよね。
だから頼るくらいが、遠慮しないくらいが、人間関係ちょうどいいんだと思いました。
これ、仕事の時ってなかなかできないなーとか、自分が何かやりたい時にできないなーと思うことが多いです。
でも繰り返し繰り返し、「頼らせてね」「助けてね」と言い続けているうちに、人に頼ることができるようになってきました。

昨日から編み物をはじめました。
些細なことですが、知人に編み物に詳しい方がいたので、「○○さんに甘えていいですか?これ作りたいんですけど、少しわからないところ教えてください」とお願いして、教えてもらいながら作り始めました。
プライベートと仕事では違うことだらけだと思いますが、今まで休職したときに何かしようと思っても、誰かを明確に頼ろうとしてきませんでした。

それに比べると、なんだか随分進歩したような気がしました。

震災はない方が良かったです。
しかし起きてしまったことは変えられない。と思うようになりました。
それを経て、今自分が変化していること、少し嬉しく思います。

変わらず軽躁状態は続いている気がします。
その辺はまた改めて、ちゃんと日中に考えて書きたいと思います(決意)

本日もお付き合いいただきありがとうございました。
また明日。

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