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吉本ばななさんと、子育てと、愛

ここぞ、というタイミングで、吉本ばななさんの本がやってくる。
たぶん、読者歴が長すぎて、心の深いところで、私の深層心理がばななさんの本を呼び寄せるのである。

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先月半ばから、ストレスフルな日々が続き、珍しく眠りが浅かった(カフェインとり過ぎの感もあり)。子どもの中耳炎、夫の発熱、新年度の部署異動と、いろいろあり、なんとか乗り越えたふりをしていても、体は嘘をつかず(ちゃんと反応してくれるのは、ありがたいことだ)。咳がいつまでも止まらず、私自身の通院も続いていた。

そんなときの、ばななさん。
かなり前に図書館で予約していたエッセイが、ちゃんとこのタイミングで、届く。

ばななさんは、一時期、大ブレイクした作家で、誰でも名前は知っているだろうけど、最近の小説まですべて追っている人は、意外に少ないように思う。ご本人いわく、「もう、必要としている人に、必要なだけ、届けばいい」らしく。それでいうと、私はずっと変わらず、ばななさんの文章を必要としている。

ばななさんの文章を読むたび、原点に帰る。その人にとって大切なことはなんなのか。貴重な人生を使ってしていくべきことはなんなのか。どんなときでもせずにはいられないこと=天職とはなんなのか。

たとえば私の弟は、自分自身の体調がどんなに悪くても、動物の世話には手を抜かない。また、私の妹は、仕事と子育てでどんなに時間がなくても、スキマ時間を使ってランニングをする。普通、走ったらよけいにしんどくならないか?と思うけれど、走れないときのほうが調子が悪いらしい。
そんな妹は、私が産後すぐにノートパソコンを開いていたことに驚愕していた。別に嫌々ではなく、やりたかったことがあるから、開いただけなんだけど。

好きなこと、向いていることって、いかなるときでも、嫌でもしてしまうんだろうなと思う。それができなくなっているときって、たぶん自分は生きているようで生きていない。

最近もう一つ、ばななさんが教えてくれることが増えた。ばななさんは、たぶん私より十歳以上年上で、四十すぎてから、男の子を1人産んでいる。晩婚で高齢出産という共通点があるから、妊娠中や出産直後も、ばななさんのエッセイは私のバイブルだった。

エッセイの中で、その男の子はどんどん大きくなっていき、今はおそらく成人に近い。で、「子育てが一区切りついたこと」について語るばななさんの言葉が、ものすごく、響く。「すべてのことを投げ出して、あの子のすべての行動をずっと見ていればよかった」とか、「あんなに自分の時間がほしいと思ったのに、今は一人だ」とか(そのままの文章ではないです)。

子どもと一緒にいるとき、近所の人に、「今が一番よいときね」と言われるのはあまり好きじゃない。だって今の私はあまりにもいっぱいいっぱいで、これを乗り越えたとき、今以上によいときがないなんて、救いがなさすぎる。
でも、ばななさんの文章を読んだときには、素直に、ああ、小さい我が子と過ごせる今という時間を大切にしなくちゃ…と思う。0歳のときからずっと思ってるし、それをわかっている私は幸せだ。それでも。「もう少し残業して仕事したい」とか「一人で読書したい」とか思ってしまう自分はいるけれど。

今回のエッセイで、一番印象的だったこと。「自分にとって一番大切な人に、自分より大切な人ができるなんて、それは失恋じゃないか、と恐れていた。でも、彼に恋人ができたとき、まったくそんな気分にならなかった。幸せでいてくれて嬉しい、と思った。本当の愛をなめてはいけない」(そのままじゃないです)。

きっとそうなんだろうなと思う。息子たちにとって、私がどうでもよい存在になっても(夫いわく、本当は、ならないらしいけど)、彼ら自身が誰かと愛し合って幸せなら、私はそれでいいと思うだろう。心からそう思うだろう。

これが、本当の「愛」なんだな。息子たちに出会って、初めて体感できた。

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