【CosmoAngola 2023】パーマカルチャーからのはじまり
CosmoAngolaを紐解く
我が師匠のキロンボ1月の恒例イベントCosmoAngola 2023イベントの準備が多忙を極めている。主にブラジル国内および欧米諸国からの参加者向けのイベントであるため、告知のFecebookイベントの案内は毎年ポルトガル語と英語のみで書かれている。
試しにGoogleで日本語訳してみた文はかなり珍妙な仕上がりで、それに修正を加えてみてもGoogle翻訳と大して変わらないぼんやりした文章にしかならず、イベントの趣意が全く伝わった気がしない。(↑上記事)
基盤になっているポルトガル語と英語自体は私が2022年1月のイベント開催の告知時に準備したものに改訂を加えたもので、こんなぼんやりした文でも今年1月には一応数十人の参加者が集まった。
しかしながら、それも早15年続いて来たキロンボ恒例イベント「パーマンゴーラPermangola」を見聞きしてきた人々や師匠のフォロワーが来ているからで、CosmoAngolaについての文章だけを読んで参加しようとする人は少ないだろう。
日本語でもイベントを紹介したくてもなかなか短い解説では残念ながら伝わりにくいためこの際、イベントの基盤になっている考え方やその概要を少しづつ紐解いて行くことにしようと思う。
パーマカルチャー+カポエイラ・アンゴーラ
我がカポエイラの師匠コブラマンサMestre Cobra Mansaの運営するキロンボテノンデーKilombo Tenondéでは2007年より毎年1月の第3週目は7日間続く恒例イベントがあり、毎年それこそ世界中から数十人の参加者が集まる。
2021年は例に漏れずパンデミックの影響で中止になった。そして今年2022年1月に、それまで「パーマンゴーラPermangola」という名で開催されて来たイベントは新たに「コスモアンゴーラCosmoAngola」という名で再開した。
コスモアンゴーラという名も謎が多い。しかし、その前に長年続いて来たパーマンゴーラというこれまた謎な名前の前身イベントがある事から解説したい。
パーマンゴーラPermangola、イベント名であるこの造語はPermaculture + Capoeira Angola = Pemangolaというアイデアから始まり、パーマカルチャーとカポエイラ・アンゴーラを架け橋したイベントの先駆け的存在である。
2007年に始まった当初からバイーア州をはじめ、ブラジル全土でこの手のイベントが今現在も数多く開催されるようになった。特にブラジルでカポエイラをやる人でパーマンゴーラを知らぬ者は少ないであろう。その影響力の大きさについて書かれた学術論文もあるほどだ。↓
↑これはいくつか制作されたパーマンゴーラについての短編ドキュメンタリーのうちの一つ「パーマンゴーラ:未来を創る」(2014)。残念ながらポルトガル語バージョンのみ。しかし、パーマカルチャーやカポエイラに興味のある方にとっては映像を流し見するだけでも雰囲気は伝わるだろう。
パーマンゴーラの基盤
↑こちらは2019年のイベント案内である。コブラ先生が好んで着る迷彩柄の服をイメージした背景を使った画像は、2013年以降キロンボのデザインを担当して来た私自身がコブラ先生と話しながら作製。
迷彩柄は戦争や軍隊を連想させると批判されたこともある。しかし、師匠によると自然の中に溶け込み常に「体制」と戦う、潜んで不意打ちを喰らわせる、という想いがこもってもいるらしい。ファッション性のみでは無い理由があるのも彼らしい。
そしてカポエイリスタ(カポエイラプレイヤー)には迷彩柄のズボンを着用する者も多く、その中には実は彼のスタイルをコピーしている者も少なく無い。何かとカリスマ的な人物なのである。
それはさておき、実はこの迷彩柄に対する姿勢も、パーマンゴーラ、キロンボ、カポエイラ、バイオ建築、自給農…コブラ先生が多くの人を惹きつけ巻き込み、精力的に続ける活動のその基盤になっているものにも繋がっている。
カポエイラとパーマカルチャーを繋げて
日本でも浸透しつつあるパーマカルチャーは元々オーストラリアの男性二人ディヴィッド・ホルムグレンとビル・モリソンによる造語で、「パーマネント」永続する「アグリカルチャー」農業から来ており、1970年代より主に欧米諸国を中心に広まった。
昨今日本でも大きく取り沙汰されるSDGsや持続可能な生活スタイルとも大きく繋がる、エコシステムに沿った生活様式を提案する基盤にもなる考え方、姿勢とも言える。
コブラ先生はカポエイラ・アンゴーラを広めるため渡米していた1990年代、アメリカでパーマカルチャーを実践するコミュニティに初めて触れた。
そしてかつて1993年ブラジルで行われたビル・モリソン自身によるPDC = Permaculture Design Courseパーマカルチャーデザインコースで学んだMarsha Hanzeに師事。
1998年にはMarsha Hanzeの下でPDCの資格を取得し、またキロンボ・テノンデーはブラジルバイーア州パーマカルチャー協会とも提携するなど本格的にパーマカルチャーを実践して来た。
そしてキロンボ・テノンデーでは積極的にパーマカルチャーを基にした農業、バイオ建築などを実践し、カポエイラのイベントにパーマカルチャーを組み込んだ。それがパーマンゴーラ。
その狙いはカポエイラ人口にパーマカルチャーを体験してもらい、またパーマカルチャー人口にカポエイラを体験してもらうことであった。
パーマカルチャーへの疑問
さて、それがなぜちょうどパンデミックの頃変容を遂げ、「パーマカルチャー」のPermangolaのからCosmoAngolaの「コスモ」となったのか。それについては次回以降の記事で解説していきたいと思う。
コスモと言うと某石油会社や、昭和世代の私などはマンガ「聖闘士星矢」の小宇宙(コスモ)を連想してしまう。しかしながら、CosmoAngolaのコスモは「Cosmograma(英語Cosmogram)=宇宙図」または「Cosmovisão(英語Cosmovision)=宇宙観」から来ている。
それも特定的にアフリカ中西部、現コンゴ=アンゴーラ地域のバントゥBantu言語圏の民族のひとつとされるバコンゴBakongoの世界観。このバコンゴ宇宙図(コスモグラム)がディケンガDikengaと呼ばれ、一般的にポルトガル語ではCosmograma Bakongoと呼ばれている。
このディケンガについては単純でありつつ複雑でもあるので、数記事書いても足りないくらいである。
近年この宇宙図的世界観へと引き寄せられて行った結果、この図を基盤にしたカポエイラの起源の解釈を博士論文にまとめるまでに至ったコブラ先生が、近年パーマカルチャー自体に疑問を感じて来た経緯を見て来た。
また、先述の迷彩柄へ込められた想いも図らずもパーマカルチャーへの疑問に繋がっていると個人的には解釈している。
私はここ数年、個人的にもそのプロセスに関わって来ているため、次回以降その疑問の基盤となった経緯、パーマンゴーラからコスモアンゴーラへの移行の経緯を記録して行こうと思う。
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