見出し画像

毎日の戒めにちょうどいい掃除機

昨春、新しい掃除機を買いに夫と電気屋さんへ出かけた。白く眩しい売り場に、まっすぐきちんと並んでいる掃除機たち。それぞれの特徴や性能を示す看板の情報量に飲み込まれ、どれにしようかと悩んだ。

夫と私の意見は、2つの掃除機で割れた。夫からは、「これがいいと思う。それがそんなに気に入っているなら、そっちにしたらいいけど」と言われた。私は「そんなに気に入っている」わけでもなかったので、夫の選んだ掃除機を買って帰った。

結果的に、夫の選んだ掃除機は私には使いにくかった。そしてその使いにくい掃除機で毎日掃除をするのは、私の仕事。「失敗したなぁ…」と今でも思いながら、掃除機を使い続けている。

ふと、大学の就職活動をしていた頃を思い出す。私は企業研究が大好きだったので、大手企業が集まる東京に足繁く通い、ある程度土地勘すら持ち始めていたほど。そして、東京本社で転勤ありの会社と愛知県の会社の2つで最終的に決断を迫られた。当時は転職など気軽にできる雰囲気ではなかったので、「一世一代の選択だ」とずっと胃がキリキリとしていて、上の空が続いていた。

あるお昼休みに「大学の就職支援課へ相談に行ってくるね」と席を立つと、友人から引き留められた。

「相談へ行って、『愛知県の会社を選べ』って言われたら、そうするのか?」

その時の食堂の光景を、よく覚えている。別世界から聞こえるかのような学生たちの騒ぎ声、テラスから見える重そうにどんよりとした曇天、おちゃらけているくせにここぞというときに的を射る発言をする友人の顔。

どすん、とまるで強い重力が体にのしかかったような感覚だった。

私は自分で物事を選択する覚悟が、まるで足りていなかったことに気がつく。自分で納得するまで考え、自分で判断して、その結果ごと自分が受け止める。良い結果になっても、悪い結果になっても、それを引き受けるのは自分なのだ。

今日も、使いにくい掃除機で掃除をした。やっぱり使いにくい。おかげで、「毎日の戒めに、ちょうどいいかもしれない」と、少し愛着を持ち始めている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?