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2020年とは何だったのだろうか

2020年とは。

一体何だったのだろうか、と思わざるを得ない。

今年32歳になった私は厄年だった。人生なんて自分で如何様にも変えられるのだから、厄年なんて関係ないと思っていたが、今「一体何だったのだろうか」と思っている理由は、厄年だったからなのだろうか。

無論、私だけではない。世界中の人が、今年は災難だった。

家庭の事情でタイで働いていた会社を退職すると正式に決めたのが12月。
その時にはまだ世界はこんな状態ではなかったから、退職したらとりあえず日本に帰国して数か月家族と一緒に過ごし、タイに戻ったら何をしようかとわくわくしていた。

セブかマルタに短期留学に行っちゃおうとか、ずっと行きたかったインドに行こうとか、学生の時にボランティアで行ったバングラデシュにもう一度行きたいなとか、行きたいところ・やりたいことがたくさんあった。のに。

結局私は3月に退職した後、ずっとバンコクにいるし、会社員にも戻れなくなってしまった。
退職することはだいぶ前から伝えてしまっていたため、後任の方が来た。
退職をやめる、という選択肢はなく、コロナが世界中に広がり始めた3月頭、予定通り退職した。

タイでは、一度手放したBビザ(=タイで働けるビザ。このビザがないとタイ国内で働くことはできない)をもう一度入手するためには国外に出る必要がある。仕事を探して国外に出ることは可能だが、今の状況ではタイに戻ってくることが難しい。
もう一度タイで会社員として働くという選択肢も早々となくなった。

今、私はフリーランスとしてライターや翻訳の仕事をしている。
日本にある会社と契約しているからビザ問題はないものの、夫の扶養に入っているため、年収の上限金額が決まっている。
もしその上限を超えてフリーランスで働こうと思ったら確定申告が必要なため、住民票を日本に戻さないといけない。住民票を戻すためには日本に帰らないといけない。

タイで頑張っている夫を残して日本に帰ることも考えたが、現実的ではなかった。夫がいつ日本に帰国になるかが決まっていないため、今私が帰国すると、最悪数年間別居になるからだ。

私がタイに住み続けるためには、何をするにも八方塞がりだった。

日本に帰ったらまた会社員になれるんだろうかと不安になったり、キャリアを積む友人を見て自分の将来を悲観したり、今も悩むことはたくさんあるけれど、もちろんそのままでは終われない。

家でNetflixを観て過ごしたりYoutubeをお手本にピラティスをやったり、世界中の何億人もの人が経験したであろう過ごし方を経て、なんとかフリーランスとして働いている。

ありがたいことに、継続的に仕事を依頼してくださるクライアントが何社かいる。会社員のときと比べると収入は何分の一にも減ったけれど、それでも「自分で仕事を受けて自分でする」というスタイルは、会社を退職して、かつ再就職も日本への帰国もできなくなってしまったからこそできたことだ。
フリーランスになったからこそ挑戦できた仕事がいくつもある。
きっとそれらの仕事は今後の私にとって大きな糧になるだろう。

正直に言うと、これで良かったんだろうかという気持ちもある。

できなかったこと、諦めなければならなかったことを挙げたらきりがない。
私だけではなく、世界中の人が何かを諦めざるを得なかった年だろう。

きっと2021年もこのしがらみは続く。
そんなとき、「できなかったこと」に目を向けるのではなく、引き続き「今だからできること」に目を向けられる自分でいたい。


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