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私が「終活」に辿りついた理由とは? |終活・エンディングノート・大阪

こんにちは!
大阪で活動している
終活ライフケアプランナー 吉原明日香です!

私が終活の講師をしている、と言うとほぼ100%「若いのに何で?!?!」と聞かれます💦笑

そこで今日は、
私が終活ライフケアプランナーとして活動している理由…

というか、
なぜ私がこの歳(30代)で「終活」に辿りついたのか…

をお話しさせていただきます!


私が終活に辿りついた理由

1,幼きクレーマー?!笑

私は小さい頃から葬儀に参列する度に、「私だったら…」と幼いながらも感じていました。
例えば、私が人生で初めて葬儀に参列した祖母の祭壇の菊を見て「私ならもっと可愛いお花がいい〜」という感じです。 

中学生の頃に参列した祖父の葬儀では、遺影が若き頃すぎて(戦前でもちろん白黒!)、誰だかわからず、参列された方々が皆、遺影を見て一瞬戸惑う姿を見て「私は可愛く映ってるのがいいと思ってたけど、若すぎたら逆にアカンのか」と"勉強した"ぐらいです!笑

今思えば不思議なのですが、なぜか私はこういう風に今まで参列した葬儀の記憶が“私のダメ出し付き”で残っていました。


2,実母の死

そして私が14歳の時…母が急死しました。
病死でした。
母の通夜や葬儀、お墓などについては当然全て父が一人で手配していました。
忙しく打ち合わせを重ねている父を見て「人っていつ死ぬかわからんなら、私はいつ死んでもいいようにこれからの人生は自分の好きなように生きよう!」と思ったのを今でも鮮明に覚えています。
(それから私は本当にやりたい事は全てやり尽くしました!詳しく聞きたいという 明日香マニア には、またいつかの機会に笑)


3,実父の死

月日が経ち私が32歳の時、父が亡くなりました。
私には弟が一人いますので、弟と二人で全ての『業務』をこなさなければなりませんでした。
父は母を亡くしてから、それはもう好き放題に生きていたので(笑)、一般的な死後業務にあらゆる追加業務が加わり、正直「悲しむ」なんて時間も余裕もなく、当時5歳だった私の娘がシクシク泣いているのを見て「あぁ私悲しめてないな」と気付いたほどです。

4,とりあえず形から入ってみる!笑

それほどとにかく大変だった父の死後しばらくしてから、ふと思ったんです。

「二人の我が子にこんな大変な思いはさせたくないなぁ」
私が母みたいに急に死んだらどうなる?」と。

同時に“子どもを遺して逝く母親の気持ち”も初めて気付きました
(私は今まで母の死に対して“子ども目線”でした)

子どもにとって 母親 を亡くす辛さは、私がよく知っているはずです。
ならば「母親を亡くしたこと以外の苦労(適切な言葉かはわかりませんが)は、出来るだけ少なくしてあげよう」と思いました。

そうと思えばじっとしていられないのが私です(笑)

「とりあえず今すぐ出来ることは?」と探していくうちに「終活」という言葉が目に入りました。

調べてみると、終活に関する資格もたくさんあり「どうせ勉強するなら資格取ってみるのもええやん♪」と何でも形から入るタイプの私でしたが、生前から色々と準備できることや、ペットに対しての終活などを勉強していくうちに「終活」の大切さを知り、また「せっかくならもっと終活を広めたい!伝えたい!」と考え、まさかの講師にまでなった…というわけです。


長くなりましたが、私が「終活」に辿りついた理由は、こんな理由でした!


終活の話をするのには、当然「死」を避けては通れません。

ただ私は、
身内を亡くした経験だけではなく、
人生を楽しむことの大切さもお伝え出来れば…と考えています。


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