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母のドレッサーを手放す時に思ったこと |終活・エンディングノート・大阪


こんにちは!
大阪で活動している
終活ライフケアプランナー 吉原明日香です!


実は、私には 母の形見 がありました。

それは、母が嫁入り道具(今もこんな言い方するのかな?!もう死語😂?!)として、
父と結婚する時に持ってきた《ドレッサー》です。

でも今回、私の「終活」の1つとして、手放すことにしたんです!!


今日はこの《母の形見のドレッサー》についてお話しさせていただきます。

母の形見のドレッサー


1,母のドレッサーとの思い出

このドレッサーは、私が持っている《唯一の母の形見》です。

母には物が多く(これは私もDNAとして受け継いでいる😓)、形見になる物はたくさんあったと思います。
なのでおそらく、大人同士で形見分けをしたのでしょう。

そう!!当時まだ14歳だった私には"子ども扱い"されたのか、"形見分けの選抜メンバー"から外されていたんです🤣
(今思えば腹立つ💢笑)

なので、大人になり、気がついた時にはもう
《母の形見》はありませんでした。

だからこのドレッサーが《唯一の母の形見》になるワケです。

このドレッサーの思い出といえば、私は1度も使わなかったので(母よすまぬ💦)、
母が使っていたことしかありません。

母がお化粧をする横顔に、私がドレッサーに手をついて話しかける…
化粧品を選ぶカチャカチャする音…

そのシーンは今でもハッキリと思い浮かびます。


2,手放す決断をしたキッカケ

その《唯一の母の形見》であるドレッサーを手放す決断をした理由…

それはまさに「老前整理」です。

コロナウィルスの影響で おうち時間 が多く持てたので、家中を掃除し、片付けていていた時に、私のウォークインクローゼットの奥に放置されていたドレッサーと再会(🤣笑)したのがキッカケです。


3,ついに長年捨てられずにいたドレッサーと向き合う!

母を亡くしてからもう21年が経つので、当然このドレッサーとも21年一緒にいたわけです。
でも、
①私が引き取ってから1度も使ってないこと
②大きすぎ•重たすぎ で使い勝手が悪く、今後もおそらく使う気がしないこと
③シンプルに邪魔(母よすまぬ💦part,2)
④私が死んだあと誰が処分出来る?(気持ちの問題で!!)

などなどを考えて、ついに《唯一の母の形見》であるドレッサーを手放す決断をしたのです👏

特に④に関して。
最初の方にも書きましたが、母は私が14歳の時に亡くなっています。
…ということは??

私の主人も子どもたちも、当然私の母と会ったことがないんです!!


会ったこともない人の…それもめっちゃ大きくて重たい物が家にある…😅

それって、今は私が居るから成り立っているワケで、私が死んでいなくなったら??

今までクローゼットの奥に大人しく隠れていたくせに、急に存在感MAX‼︎で現れるワケですよね?!
まさかのラスボス感覚🦹‍♀️?!


主人からしたら 亡き妻の亡き義母の形見 で、子どもたちからしたら 亡き母の亡き祖母の形見 になって…

って、ややこしいわ!!!!
もう捨てちゃえ!!!
でも待って!!これって《形見》やんな?
じゃぁもうちょっとだけ置いとこう!

…と永遠に捨てられない、
捨てたらバチが当たりそう😱??な

☠️厄介なアイテム化☠️ するのは目に見えてる💦笑
(母よすまぬ💦part,3)


ならばもう!!!
今捨てずにいつ捨てるの?!

今でしょ!!!(古っ!!)

となったのです。


4,ドレッサーを手放す時に思ったこと

21年間手放せなかったドレッサーを手放す決断をする時に気づいたことがあります。
それは…。

【形見】って、時に 当事者が思ってる以上に重たい意味を持つ ということです。

本来の意味は決してネガティブな意味合いはないのですが、人に「形見だから…」と言われてしまうと、普通は「相手が気を悪くしてしまう様なことは言わないでおこう…」と思うもんだし、ましてや「捨ててしまえば?!」なんて言えないですよね😅


だから、無意識のうちに

誰にも攻撃されない無敵な言葉

になっちゃうんです。

もちろん自分自身にも。

だから、私も知らず知らずのうちに
処分の対象外
になっていたのかもなぁと、思いました。

私は普段お伝えしている通り、エンディングノートであったりその人が【生きた証】になる物は遺しておいた方が遺された家族や周りの生きる力になる…と考えています。

ただ、今回の私みたいに
物が大きすぎたり
実際に使わなかったり
又は使えなかったり
現実的に保管が難しい 物は

やっぱりご自身が元気なうちに
ご自身で「老前整理」すべき
だと実感しました。


自分が持っている《形見》を残して死んだ場合、遺された家族や周りはどうなるのか?

その《形見》を遺すことで、かえって迷惑にならないのか?

元々の持ち主はそこまで望んでいたのか?

それに…
実際に手に取れなくなっても、思い出としてちゃんと頭や心に残しておけば、それも立派な《形見》かな?と。



今回の私の老前整理についてある方が言ってくださったんです。

形見が物としてなくなったとしても、自身が『生きる形見』になる」と♡


生きる形見…

私には思いつきませんでした。



母から譲り受けたドレッサー、最後に私に本当の《形見》の意味を教えてくれた気がします😌

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