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カミングアウトは必要か

セクシャリティやジェンダーについてのカミングアウトは必要なのだろうか。


私は現在、一部の友達と職場にはカミングアウトしている。
職場に明かしている理由としては二つ。
一つは単純に男としての行動を求められるのが辛かったから。
もう一つが大きな理由としてある。それはこれからマイノリティも当たり前として受け入れられる時代に向けて自分も行動せねばと思ったからである。
後の時代の同じような人たちに同じ苦しみを味わってほしくないから、ちゃんとここで道を作っておかなければならないなと強く思った。
明かしてはいるけれど、更衣室の使用やトイレの使用は未だに認められていないが、自分のような人間がすぐそばにいると理解してもらえただけでも次の時代への大きな一歩だったと思う。

友達に明かしている理由は、自分一人で抱えてるのが辛かったのと、この人には知っていてほしいと思ったから。
当然友達になら誰にでも打ち明けているのではなく、絶対的な信頼を置いていて明かすことによってこれまでの関係が崩壊しないと確信できる人にしか明かせていない。

中学からの付き合いのある一人の親友について少し触れたい。
カミングアウトしたのは比較的最近の話。
正直その明かした彼女には申し訳ないという気持ちがあった。なぜなら今まで男として接してくれていたし自分も男を演じていたので、今までの自分は偽りの自分でしたと彼女に伝えるのは一つの裏切りであると感じていたから。
打ち明けたときは平然とした感じで聞いてくれてはいたが、内心戸惑いや動揺をさせていたのだろう…。それでも彼女はこれまで通り普通に接してくれるし、お店で服を一緒に選んでくれたりと昔より距離が縮まったようにも思う。(これは私が一方的にそう思ってるだけかもしれない笑)

カミングアウトというのは、双方にとって精神的疲労をもたらすものだと思う。
カムする側はどう伝えればわかってもらえるか、伝えた後の関係性はどうなるのかとか色々考える。たくさん考え伝えるために自分の中で色々準備する。しかしカムされる側からすれば急なことなので動揺もさせるだろうし、そんな急に言われても…となるだろう。された側はそこからその人に対しての認識を改めなくてはならなくなる。

カミングアウトは必ずしもする必要はないし、したい相手にだけすればよい。無理に明かす必要はどこにもない。以前Twitterで中学生が担任からセクシャリティを問い詰められたというのを見たが決してそんなことはしてならない。あくまでも本人の意思によってするもので他人が問い詰めるべきではない。しかし、マイノリティの人は本来与えられるはずの権利が与えられてなかったりするので、カミングアウトしなければならない場合もあるのが現状としてある。

最後に私なりのカミングアウトしてよかったこととそうじゃなかったことを挙げよう。
よかったことは何と言っても先ほどの彼女の存在だ。それまでは一人で悩み続け真っ暗な世界を生きている気がした。たった一人受け入れてくれただけで世界が明るくなるんだなって感動があったし前より自信が持てるようになった。彼女の存在は自分の最大の強みになったし本当に感謝しかない。
逆によくなかったことは、これまでの友達関係が自然消滅してしまった人が何人もいること。直接ではなくSNSなどでの間接的なカミングアウトだったが、セクシャリティを知った途端連絡が来なくなり遊ぶこともなくなってしまった。やはり裏切られたと思ったのだろうか。気持ち悪いと思われたのだろうか。そんなのは本当の友達じゃないと割り切れるならいいが、自分にはそれができなくて今でもずっと後悔している。それがあって打ち明ける相手を選ぶようになった。

難しい問題ではあるが、全ての人に当たり前の権利を当たり前に与えられる世の中になってほしい。
周りが求めてくる人間を演じるより、誰もが自分らしくありのままで生きられる世の中になれますように。

”きみがいいと思ったら、それでいい。誰かから何と言われようと、事実が変わるわけじゃない”  ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

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