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子育てや介護のために自分を犠牲にしていませんか?

仕事や子育て、親の介護などで自分の時間が持てず自分を見失うことってありませんか。

最近親の介護が忙しくて自分の時間が持てず、ひどくイライラしていて、親に死んで欲しいと思っているという悩みを聞きました。

私は幸いにも母が元気なため介護が必要にはなっていませんが、毎日フルタイム勤務(残業あり)と息子のアレやコレやをしていると、1人になる時間が少ないせいか、怒りのような焦りのようなものがあるなというのは感じていました。

なのでその方が自分の時間が持てず、ひどくイライラするのはとても良くわかると共感しました。

今回は自分だけの時間が必要な理由と、自分も家族も大切にする考え方について私の思いを綴っています。


1人の時間が必要な理由


介護や子育てなど、誰かに何かすることが増えると「意識がずっと外側に向いているな」と感じます。

今ある自分の置かれている状況を知るために俯瞰するのであれば、意識は外側にあるとも言えますが、俯瞰した後は意識が自分に戻ります。

相手に何かする時の外側に意識が向いている、とは、相手の要望や相手の反応に気を取られてしまい自分の感覚を蔑ろにしているな、と思います。

自分の感覚を蔑ろにし続けると自分が誰なのかわからなくなる焦りや、本当はそんなことをしたくないという怒りいつまで自分を偽らなければならないのかという哀しみが生まれるのではないでしょうか。

自分の感覚を大切にするためには1人の時間が必要だと思います。


私は自分で心や身体の調子を整えられる女性が増え、健康になり、あらゆる人たちと助け合いながら暮らせる社会になることを願っています。

微力ながらもブログや和整体で心と身体が健康になるお手伝いをしたいと思い、活動しています。

女性が健康になるお手伝いをするには、私自身が健康でいることが大前提です。

自分が健康でいるために、自分と向き合い、自分の中にある感情や抱いた感情からどの様な行動を選んだのかを確かめ、どの様な固定観念からその感情や行動に至ったのかを振り返り、その固定観念は私にとって必要なのかを考えます。

抱いた感情や、抱いた感情によって選んだ行動の意図も考えます。

どの様な情報を持っているかで抱く感情が変わるので、情報収集をする必要はあるのかも考えます。

これらのことをするには、気持ちが落ち着いた状態で、自分を俯瞰する必要があり、1人になって集中する時間が必要になります。

瞑想やグラウディング、好きなことに没頭するのは、必ずしも1人ではないかもしれませんが、瞑想やグラウディング、趣味に没頭することは、焦りや怒り、哀しみを手放し、宇宙や大地、無意識といった大いなるものと、しっかりとつながります。

しっかりつながることでエネルギーの循環やエネルギーの補充をすることができます。

瞑想やグラウディング、好きなことに没頭するのも自分の感覚に集中する時間であり、心と身体の健康に大切だということがわかります。

親や子どもは大切にしないといけない?


私たちは親や子の面倒を見るのは当然だと思っていて、できるだけ幸せに、できるだけ満たされて、できるだけ困らないようにしようと動いてしまっているな、と思います。

でも幸せになるのも、満たされるのも、困らないようにするのも本来自分自信が望んで行動し、1人で或いは誰かとその一瞬の感覚を得るものだと思います。

もちろん扶養する義務や介護の義務はありますし、日々楽しく暮らして欲しいとも思いますが、親や子の人生までどうにかする役割はないのかもしれないな、と思います。

私が幹で家族は枝葉


家族のために、自分の感覚を大切にするための時間や目標に向かって何かをするための時間をとらず、我慢しイライラしているのって、何か違うよなと思います。

私自身の生きる目標や、やりたいことが人生という木の幹であるなら、家族は枝や葉です。

何より家族は母親や娘が我慢しているのを喜ぶのでしょうか。

自我の強い家族であれば、自分たちの欲求が満たされれば幸せだと思う人もいるでしょうが、多くは母親や娘であるあなたに幸せになってらもらいたいと思っているのではないでしょうか。

自分が何をしたいのかを家族に語り、お互いがどんな暮らしを望んでいるのかを話し合い、お互いがお互いをフォローし合い、それぞれが自分の感覚を大切にし、自分の木を育てられる環境になるといいなと思います。

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