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家族、糸を紡ぐように

家族

「家族は、一番近い他人だ」って言われた。
なるほど、と思う。

家族の大人は子どもを守ったり、教育したり、育てたりする義務がある。でも、家族の大人と言えど、家族との関わり方はそれぞれなわけで。
そもそも子どもがいなくなった家族(みんな大人になった家族など)はみんなそれぞれ、なんのために一緒にいるのだろう?

ある人は「一番信じられるのは家族ぐらいだ」と言うけれど、本当なんだろうか?家族という概念を広げることができたら、そんなことないのだろうか?
そもそも、私は家族と言ったときに、何を考えたいのだろうか?

ちゃんと他人なのに、昔から知っているからか、一緒に生活しているからか、お互いに良くも悪くも遠慮がない。
そのせいで喧嘩になるし、面倒だとも思う。
最終的に、自分の問題に落ちてくるのだけれど、それにしても、どうしたってイラつく時はある。しかも理由は家族だから、な気がしなくもない。

家族じゃなかい人になら、優しかったり、配慮できたり、諦めれたり、優先できたり、なるべく挽回して「ありえねー」って思われないラインを保とうとするのに、なぜか家族だと、できない。
自分をついつい優先したくなっちゃう。

適度な距離感がお互いの礼儀や気持ちよさのためには、どの関係においても必要なのかもしれない。

糸を紡ぐように

人間関係の繋がりやつなげ方って、「糸を紡ぐように」繊細で、つなげていくものなのかもしれない。
今住んでいる場所からちゃんと離れたところで、たくさんすてきな知り合いが増えて、その場にも愛着が湧けども、その場に関わることが コンスタントにないと、やっぱり一度切りの関わりに(結果的に)なってしまうことはある。
私はまだ生きているから、これからまた出会う可能性もあるけれど、でも、出会わない可能性も大いにある。むしろそっちの方が大きい。
ああ、なんてこった。
こんなに好きになったのに。

ってことは、ちゃんとある。
でも、会えないかもしれないのも事実。
その辺、うまくやっている人がいるなら、傍に行って学ばせてもらいたいかも。
まあ、いいんだけど。
いつかまた会えたらと思っているくらいが丁度いい。

いつか会えたら、いつか仲良くなれたら、いつか仕事できたら…
いや、全部今やりなよって感じだね。

全部つなげていこう。
時間はかかるかもしれないし、もしかしたら、途中で興味が薄れて、いっかってなるかもだけれど。

それにしても、会ってすぐに連絡を取らないと、まだ関係ができあがっていない人に忘れられるとか、気持ちが薄れていくとか、よくあるよなあ。
ほそぼそと繋げる。つなげていかないと、つながらないかもしれない。
その微妙なバランスが糸を紡いでいるときのように感じた。

読んでくださった方へ、何を思って読んでいたのか、読んでくだすったのか、コメントくをだされば、家の前にやまびこをしに走るくらい、喜びます。