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夜空はなぜ暗いのか − オルバースのパラドックス)

太陽が見えている日中,私たちの上には青い空が広がっています.これはいわゆるレイリー散乱で説明されます.青い波長の光ほど大気によって散乱されやすいため,太陽からの光のうち青色の光が上空のあちこちから私たちに届くことになり,空は青く見えています.

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そして太陽が地平線の彼方に沈むと,夜が訪れます.夜空にはたくさんの星々が輝いていますが,その明るさは日中と比べるとかなり限られていて,月が出ていなければ足元を確認することすら困難でしょう.

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このことから,もしかすると夜空が暗い理由はとても単純で,「太陽が見えないからである」と考えるかもしれません.しかし少し考えてみると,何億光年もの彼方まで広がっているこの宇宙が暗く見えるのはとても不思議なことのように思えてきます.

森を例にとって考えてみましょう.森の中に立って周囲を見渡すと,たくさんの木々が生い茂っています.その森がとても広いものであるなら,木々の間から森の外を見ることは困難でしょう.近くにある2本の木の間からその先を見ようとしても,少し遠くにある別の木によってその視線は遮られてしまいます.その視線をほんの少しずらしたとしても,さらにその先にある別の木が視線上には存在しています.結局見渡す限りどの方向を見ても必ず視線は木によって遮られてしまうため,森の外の世界を見ることはできません.

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同じように考えると,広大な宇宙に分布する星々によって包まれている夜空も,見渡す限りどの方向を見ても視線上には必ず星が存在しているように思われます.しかしながら実際の夜空を見てみると,星々の数はたしかに多いものの夜空を満たすほどではなく,むしろ暗い領域の方が多いように見えます.

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16世紀の天文学者トーマス・ディッグスは,無数の星々で占められているはずの夜空が暗く見えている理由について考察し,それは大部分の星々があまりに遠くにあるためであると述べました.その主張は当時多くの人達に受け入れられましたが,やがてそれでは夜空が暗い理由を説明することはできないことが示されます.

https://prabook.com/web/thomas.digges/3753721
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簡単のため,夜空に輝く星々の本当の明るさはみな同じと仮定します.このとき,星までの距離が2倍になると,その星の見かけ上の明るさは距離の2乗に反比例して暗くなるため,1/4の明るさで見えることになります.一方,夜空のある範囲を考えると,距離が2倍になると見えている範囲の面積は4倍になりますから,そこに見える星の数も平均すると4倍になると考えられます.つまり,星1個1個から届く光の量は1/4になりますが,星の数が4倍になるため,それらはちょうど打ち消し合って,結局私たちに届く光の総量は同じということになります.

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宇宙を距離ごとにレイヤーに区切って考えると,各レイヤーからの光の量は等しく,夜空のどの方向を見ても必ずどこかのレイヤーが視線上にはあり,その明るさはどのレイヤーでも等しいと考えられます.そして,私たちに一番近いレイヤーには太陽がありますから,そのレイヤーの明るさは太陽表面の明るさとなります.そう考えると,夜空はどの方向を見ても太陽の表面と同程度に明るいものになると期待されます.

しかし,実際の夜空は太陽の明るさからはほど遠く,暗い姿を見せています.こうした考え方を最初に報告したのは,18世紀の天文学者ジャン=フィリップ・ロワ・ド・シェゾーとされますが,その後に19世紀に入ってこの問題について報告した天文学者ヴィルヘルム・オルバースにちなんで,この問題は「オルバースのパラドックス」と呼ばれています.

https://www.lindahall.org/jean-philippe-loys-de-cheseaux/
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パラドックスというのは,妥当と思われる前提と推論から,受け入れがたい結論が得られることを指します.広大な宇宙においてたくさんの星々があるという前提と,宇宙を距離ごとのレイヤーに区切るとその明るさが距離によらないという推論から,夜空はきわめて明るいはずであるという実際の夜空に反する結論が得られるのがオルバースのパラドックスです.このことは,前提もしくは推論に間違いがあることを示唆しています.

オルバースのパラドックスはとてもわかりやすい問題ですが,天文学研究がまだそれほど進んでいなかった当時,定量的に答えを示すことは簡単ではありませんでした.オルバースは,宇宙が暗くなる理由として,星々からの光の大部分が地球に届くまでの長い道のりのどこかで何かに吸収されてしまっているからだと考えました.

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宇宙には1ミリメートルより小さいサイズの固体の微粒子である塵(ちり)が浮遊しています.その密度は1立方メートルあたり1個程度というきわめて希薄なものですが,宇宙の広大なスケールで積算して考えると無視できない量になります.

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そうした塵は星からの光をよく吸収することが知られていて,実際に天の川銀河の円盤部には大量の塵によって吸収されて暗く見えているダークレーンと呼ばれる部分が複数存在することが知られています.オルバースの考えた説は,そうした塵が遠くの星々からの光を吸収してしまっているため,夜空は暗く見えている,というものでした.

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しかしながら,塵の吸収では夜空が暗い理由を説明できないことが示されます.塵は,星からの光を吸収するだけでなく,塵自身の温度に応じた熱放射によって光を放射します.その際,塵の温度は,星々から受け取るエネルギーと,塵自身が放射するエネルギーのバランスが取れるような値に落ち着きます.

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もし宇宙が太陽のような恒星からの光に満たされていて,その大部分を塵が吸収しているとすると,太陽からの光は温度6000ケルビン程度に相当するものですから,それによって温められる塵の温度も平衡状態では6000ケルビン程度になると考えられます.そして塵から放たれるのも6000ケルビン程度の熱放射となるため,結果として塵も星々と同様の光を放つことになり,宇宙を暗くすることはできないことになるのです.

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では,オルバースのパラドックスにおける間違いはどこにあるのでしょうか.オルバースのパラドックスの説明では,宇宙を距離ごとにレイヤーに区切って考えました.そして,宇宙が十分に大きいとすると,夜空のどの方向を見ても必ずどこかのレイヤー上にある星が視線上にあるため,夜空はどの方向を見ても明るく見えると期待されたのでした.

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ただ,宇宙が十分に大きいかどうかは実は自明ではありません.夜空を星々で満たすための十分なサイズは,星々の個数密度と星1個が夜空に占める面積で決まります.いわゆる平均自由行程の考え方です.星々の個数密度が大きいほど,夜空を星々で満たすために十分な宇宙のサイズは小さくなります.また,星1個が夜空に占める面積が大きいほど,夜空を星々で満たすために十分な宇宙のサイズは小さくなります.実は,星々の個数密度と面積について適切な値を用いて詳細に計算すると,夜空を星々で満たすために最低限必要な宇宙のサイズとして10の23乗光年程度というとても大きな値が得られます.

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これに対して,星々には寿命があります.恒星は中心付近で核融合反応を起こして輝いていますが,その燃料に限りがあるためです.恒星の寿命は質量が小さいほど長いことが知られていますが,あまり質量が小さいと中心で核融合反応を起こすことができなくて恒星になることができないため,恒星の寿命には最大値が存在していて,その値はだいたい1兆年程度,すなわち10の12乗年程度と考えられています.

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夜空を星々の光で満たすために最低限必要な宇宙のサイズは10の23乗光年程度でした.ただし,そのためには恒星は10の23乗年前からずっと光っている必要があります.これに対して,恒星の寿命は長くても10の12乗年程度しかないため,夜空を星々の光で満たすためには恒星の寿命は短すぎるということになります.

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最初にこうした概算を示したのは19世紀の物理学者ウィリアム・トムソンでした.その後の研究から,現代に生きる私たちはそもそも宇宙の年齢が全然足りないことも知っています.宇宙マイクロ波背景放射などの観測により,宇宙の年齢は約138億年,すなわち1.38x10の10乗年であることがわかっています.つまり,宇宙が始まって間もなく星々が誕生していたとしても,それによって観測できるのは10の10乗年程度の宇宙です.したがって,ここからも夜空を星々の光で満たすために最低限必要な宇宙のサイズは10の23乗光年には足りないことがわかります.

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オルバースのパラドックスは,単純な問いかけにもかかわらず,定量的に答えるためには恒星の物理や宇宙年齢も必要とするため,現代に生きる私たちにとっても味わい深い問題です.オルバースのパラドックスはすでに解決されたと考えてよいでしょうが,一方でまだ解明されていない問題は数多く残されています.ダークマターとは何なのか.ダークエネルギーとは何なのか.宇宙はなぜ始まったのか.宇宙において物質より反物質が圧倒的に少ないのはなぜなのか.物理定数の値はどのように決まったのか….今後の科学の進展により,こうした問題が解決されることで,私たちの宇宙観や世界観が大きく変わることがあるのかもしれません.

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参考文献

『宇宙はなぜ「暗い」のか? オルバースのパラドックスと宇宙の姿』
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『夜空はなぜ暗い? オルバースのパラドックスと宇宙論の変遷』
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