きな臭い時代に思うこと

今、ウクライナ情勢についていろいろと報じられていますが、このきな臭い時代に、核大国のチキンレースになったら、死ぬ覚悟が出来ている方が勝つか、勝者のいない状態(人類滅亡もしくは、壊滅的に社会やインフラなどが崩壊した状態)になるのだろうかとふと思いました。さらに強いかもしれないのは、(死が訪れるのは受け入れた上で)生きる覚悟が出来ている人かもしれないと思いました。さらに今朝、死が怖かったとしてもそれはそれでいいじゃないか、もし死が怖いなら、その怖さを受け入れた上で、生きる覚悟が出来ているならそれも凄いことかもしれないと思いました。

死ぬ覚悟や、生きる覚悟があったとして現象面でどんな違いが出るかわ分かりませんが、精神面では違うと思います。意識が現象を作っているという前提でいえば、現象もまた違ったものかもしれません(具体的には(それで戦争に勝つとかは)なんともいえませんが)。

なお、死ぬ覚悟とか書きましたが日本の戦時中みたいに「お国のために死ね」みたいのが私は好きなわけではないことを付け加えておきます。むしろ軍国主義は嫌いです。

ともかく平和を切に願います。そして偽りでない平和をと思います。

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