映画「オットーという男」

 昨日映画「オットーという男」をAmazonプライムで見た。面白く最後までグイグイと見てしまった。
 オットーはしかめ面した男で、周りの人間を愚か者、と平気でこき下ろすが地域のルールを厳密に守ることでコミュニティの維持に貢献してきた。ところが最愛の妻に先立たれており死ぬ準備を始めるが、向かいに陽気なメキシコ人のマリソル一家が引っ越してきて、子守や運転のお願いを頼んでくる。さらには亡き妻の教え子も絡んできて、、、とマリソルの影響で人生に再び向かい合うことができていく話である。物語の進行は亡き妻との出会いから生活、と同時に描かれ、マリソルも人のいい陽気なメキシコの女性というだけでなく賢く家庭を運営できる女性として評価され最終的にオットーの苦難がマリソルとの人情的な話の中で昇華していく。
 なぜそんなにルールに厳格なのかなどがわかっていき、見ていて気持ちいい映画の見本である。マリソルとの大きな心臓のシーンはすごくいい。
 主演は「フォレスト・ガンプ」のトムハンクスである。さて、先日NHKでジョゼフ・ヒースの思想に触れた。

ヒース自身の哲学はオルテガ・イ・ガセットのアメリカ版という感じがしてわかりやすい。その中でフォレスト・ガンプに触れて、アメリカでは賢い人たちが誤った選択をして自ら不幸になっていくのに対して主人公はウスノロと言われながらも真摯に母などに言われた言葉を守って幸せになっていく話、と総括していた。
 そういう観点で言えば、オットーも全く同じ背景で、ルールをなぜ守らないといけないか、というところに主眼がある。そして、それは私には、宗教に置き換えれば、今日アメリカの原理主義的な動きの活発化による聖書に書いてあるとおりにしないとカタストロフが起きて不幸になるよ、聖書を守るということの背景には愛があるよ、というメッセージにも見えるのだ。妊娠出産や家庭の運営への惜しみない協力はその根拠ともなる。しかしそう見ると、トランスジェンダーを受け入れるエピソードがある。これはWokeした人たちを取り入れている社会の実情を表しているのだろう。
 とは言え、このオットー、名前からしてドイツ系だろうし、しかもショルツ首相を彷彿させる。ショルツ首相の評は「沸騰しているお湯を見ている方がまだ面白い」、ということであり、そこから人物像をスタートして暖かい話に転化していくところが「フォレスト・ガンプ」と同様見もので実に気持ちがいい。

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