グループワークに意義はあるか?その統治性

 職場でよくあるグループワークの意義についてchatGPTとゲームをしてみた。
Q
仕事についてモチベーションを上げるためにグループワークを行いました。上司はグループワークにおける職員の本音を聞くことで、実は統治を促進するという干渉をしているのではないでしょうか?

A
職場でのグループワークは、表向きにはチームの連帯感を高めたり、モチベーションを向上させたりするために行われることが多いですが、そこには実際に組織の統治や管理を促進する意図が含まれている場合があります。このような場面を考える際には、以下のような視点で分析できます。

1. 本音を聞くことの効果と影響

上司が職員の本音を聞くことで、次のような二面性があると考えられます:
• ポジティブな側面:
本音を共有することで、個々の職員が抱える課題やモチベーションの低下要因を明らかにし、職場環境の改善に役立てることができます。職員の声が反映されると、心理的な満足感や信頼感が高まり、結果的に働きやすい環境を作る可能性があります。
• 統治的な側面:
本音を聞くという行為は、職員の心理的状態や人間関係の把握を通じて、組織内の力関係や問題点をコントロールしやすくする効果があります。上司は「本音の共有」という名目で、どの職員が組織に忠実で、誰が反抗的かを見極める手段として利用することも可能です。

このような取り組みは、フランスの哲学者ミシェル・フーコーが述べた「監視と統治の構造」に似た側面を持つと言えるでしょう。職員の行動や思考がより「透明化」されることで、管理がしやすくなるという効果があるからです。

2. グループワークの意図と構造

グループワークの形式そのものが、統治を促進する仕組みを内包している場合があります。
• 発言の収集と分析:
グループでの話し合いでは、表面的には自由な意見交換が促進されているように見えますが、その内容が上司に記録・分析されることで、組織内での影響力や不満が見える化される可能性があります。
• 規範の再確認:
グループでの話し合いは、個人に組織の価値観や目標を再確認させる場として機能する場合があります。この場合、個々のモチベーションを向上させるという目的が強調されますが、裏では組織の目標への一致が暗黙的に強要される構造になっていることも。
• 内発的な統治:
職員同士の対話や評価を通じて、「他者の目線」が働きます。これにより、職員は自発的に組織の期待に沿った振る舞いをするようになり、上司による直接的な干渉なしでも統治が機能します。

3. グループワークへの対処法

もしグループワークに統治的な意図が含まれていると感じた場合、それを理解しつつ、自分のスタンスを保つ方法が重要です。
• 本音を慎重に選ぶ:
話し合いの場では、自分が共有する意見を慎重に選びましょう。あまりに率直すぎる発言は、自分の立場を不利にするリスクもあります。
• 建設的な視点を持つ:
上司の意図が統治であるとしても、それが職場の改善につながる可能性もあります。自分の利益や価値観に合う形で発言や行動を調整しましょう。
• 他者と連携する:
グループワークの場で、同僚と暗黙の了解を持ちながら協力し、組織の意図を読み解く視点を共有すると、よりバランスの取れた対応が可能です。

結論

グループワークがモチベーション向上を目指す一方で、統治を促進する干渉を含む可能性は否定できません。しかし、それを単純に批判するのではなく、意図を理解したうえで、自分やチームにとってポジティブな側面を引き出す努力が重要です。組織と個人の目標のバランスをとる視点を持つことで、より主体的に職場の状況を活用できるでしょう。

フーコーについてはプロンプトには入れていない。私がよく聞くから入れてくるのだろうか?新しいアカウントを作ってテストすればわかるが、そこまで検証してません。
 回答としては悪くないと思った。
 そこで、下記の質問

フーコー的にはそれが生権力だということでしょうか?

はい、そのように解釈できます。ミシェル・フーコーの「生権力(biopower)」という概念は、特に現代の組織や社会の中で、人々の生命や行動、思考を管理し、統治する仕組みを指しています。あなたの指摘するグループワークの状況は、まさにフーコー的な生権力の具体例として読み解くことができます。

1. 生権力とは?

フーコーの生権力は、伝統的な「法の支配」や「死を制御する権力」とは異なり、生命そのものを管理するための新しい権力の形態を指します。特徴として以下のようなものがあります:
• 生命の生産性を高める:
個々人や集団の健康、生産性、幸福を増進することを目的とする。
• 個々の身体への管理:
個人の振る舞いや感情、行動を微視的に観察・介入する。
• 集団としての制御:
人々の集団的な行動を統計や規範を通じて管理する。

これらは、国家や組織が権力を行使する際に、直接的な強制ではなく、内面的な価値観や行動規範を通じて支配を実現する仕組みです。

2. グループワークと生権力の関係

グループワークが生権力の実践であると考える場合、以下のような要素が見て取れます:

a. 自己管理の促進

グループワークは、表向きには「個々のモチベーションを向上させる」という目的を掲げていますが、その実態は、参加者自身に自己改善の責任を課すプロセスでもあります。これにより、従業員は自分たちの行動や考え方を内面的に「統治」するようになります。

b. 相互監視の機能

グループ内での意見交換や話し合いを通じて、個々人は他者の目を意識せざるを得なくなります。これにより、上司が直接的に監視せずとも、参加者同士が規範を内面化し、相互に統治し合う仕組みが形成されます。

c. 統計とデータ化

上司が「本音を聞く」ことで、職員の意見や感情がデータとして収集され、組織の管理方針に反映されます。このデータ化は、集団としての行動を統計的に分析し、管理するための材料となります。

d. 幸福の名のもとでの統治

「モチベーション向上」という目的は、一見すると個々の幸福や満足を高めることを目指しているように見えます。しかしその背後には、職員を組織の生産性向上に資する存在へと適合させる意図がある場合があります。この点がまさに生権力の特徴的な側面です。

3. 生権力の目的と影響

フーコーの議論に照らすと、このようなグループワークの目的は、従業員の行動や価値観を組織の目標と整合させることにあります。生権力の特徴として、「自由」を与えることで支配するという矛盾的な構造があります。つまり:
• グループワークは、職員に「自由な意見交換」という場を提供しますが、その自由はすでに組織の枠組みの中に制限されています。
• 職員の「本音」は、組織の統治戦略に組み込まれる素材として活用されます。

4. 対抗する視点

生権力が作用していると認識した場合、どのようにその影響に対抗するかを考えることも重要です。具体的には:
• 自律性の確保:
グループワークの目的を冷静に見極め、自分の発言や行動がどのように統治の一環に組み込まれるかを意識する。
• 組織のルール外での連携:
同僚との非公式なネットワークを構築し、組織が見えない形での意見交換を行う。
• 建設的批判:
グループワークの場で組織の意図を明確にし、改善を要求する。これにより、生権力が内面的に働くのを防ぐ。

結論

フーコー的な視点から見ると、グループワークは生権力の一形態として、従業員の「自由」や「幸福」を表向きの目的にしつつ、その裏では組織の統治を強化するための手段となっている可能性があります。これを理解することで、職場での力学をより深く認識し、自分の行動を戦略的に選択することが可能になるでしょう。

と,このように要領よく回答してくる。あなたは管理して統治する側か、される側か?
 統治されたり、服従しても良い司牧型の訓練の積まれた上司ならばそれも良いかもしれない。
 とこのように考えてくると、フーコーが1976年に中世の修道院から引っ張り出して提示した司牧権力、生権力、皆を導く権力は、練り上げられ、その装置としてグループワークを実装した政治の場として今日に至っているのである。

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