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【実話シリーズ】私に起こった出来事⑩ホッとしたのもつかのま

前回のお話はこちら

母の葬儀を終え 初七日の法要滞りなく行うことができ
1月も半ばになりました。

マンションの次年度理事会の役員が当たっていることもあり
管理組合の理事会の総会に出席することになりました。
それまで「総会」には出席したことがなく 毎年ロクに
議事録も読むことなく「委任状」を出し続けていました。

お堅い会議のイメージがあり 気が重かったのですが
とりあえず会議室に向かいました。
コロナ禍ということもあり ごく少人数で簡易な進行で
揉めることもなく あっという間に閉会しました。
とても緊張して出席したのですが 「理事会って意外と
楽なのかも・・・」と思っていた重たいイメージとちがっていたので 
良い意味で 期待を裏切られた感じで 
スッキリした気持ちで家に戻りました。

ほっとしたのもつかのま

娘が部屋で寝込んでいました。

「どうしたの?」と聞くと 
「急に熱が出てきてしんどい・・」

もしかして「コロナ?」

この頃全国的に流行し出していて 診察してもらえる病院をさがすのも
大変だということを聞いていました。
その日は日曜日だったので とりあえず 安静に過ごせるように
看病し近くの病院を探しました。

次の日月曜に近くのコロナ診察可能な病院を調べ
電話をかけまくりました。
そして学校にも連絡
前日にお友達と「ラーメンを食べに行く」といって
出かけていたのでそのことも伝え ご一緒したお友達の
安否も確認していただきました。
(みなさん感染もなくひとまず元気でした)

とにかく検査をして「陽性か陰性か」を調べないと・・・と思い
病院を探しました。
ようやく昼前になって一軒探し当てました。

検査は陽性

私も同居家族なので検査なくとも「陽性」とみなされ
そこからひきこもり生活が始まりました。
娘の学校にも連絡し 外出許可が保健所からくるまで
休むことを伝えました。

家に戻るとむすこも「熱がある」と言い出し
同じ病院に駆け込みました。

みごと「陽性」

保健所からの連絡を待って家に待機してくださいと言われ
ひたすら連絡を待ちました。

子供たちは高熱で全く元気もなく 食欲もない

「コロナ」という未知の病いについて不安だけがつのりました。

今思えばインフルエンザとそう変わらないんですが・・・

でわたしは。。。というと 

ようやく母の葬儀や法事のことが落ち着き仕事を復帰したところに
またもや家から出られないことで仕事も休むことに。

でも不思議なことに こんなに身近に家でノーマスクですごしているのに
私だけかからなかったんです。
これが唯一の救いでした。

娘は順調に回復し 外出許可が出るまで
家で待機するのは持て余した感じではありましたが
なんとか数日後に学校へ行ける目処がつきました。

が じつは 息子にはこのコロナにかかったことで
重大な問題が起こっていたのです。

息子は数日後に「乗船実習」を控えていました。
この実習は卒業の単位数に大きく影響すると聞かされていました。

学校ともそのことで連日連絡を取り合い
もし間に合わなければ 遠方の港からの乗船になるかも
と言われていました。

が 「船」という限られた空間にもし無理をして治りきっていないのに
のりこんで そこで感染爆発したら・・・と思うと
気が気ではありません。

乗船の条件として
保健所からの外出許可が出ていること。
PCR検査で「陰性」となっていること。
発熱や 咳の症状が完治していること。

これらをクリアしてようやく乗れると伝えられていました。

あと数日というところで保健所からの許可の電話もなく
検査を予約もできない(どこも予約でいっぱい)
まだ咳が出ている・・・

祈るような気持ちで毎日を過ごしていました。

つづく。

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