優しさだけじゃ生きていけない

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 この前祖父が亡くなって、身内だけで葬式もやって、悲しさとはそれでお別れしたつもりだったのだが、今度は、亡くなった祖父母の息子娘、つまり私の母親とおじさんが、残された祖母の今後について少し悩んでいるらしい。
 祖母の方は、祖父が亡くなってから糸が切れたように体調を崩してしまった。いや、もともと腎臓が悪く、タイミングが合っただけかもしれない。しかし周りの目にはそう映った。
 それで祖母には人工透析が必要だそうで、最近そのための手術をした。血を抜くための通り道を作ったらしい。私はあまり医療には詳しくないので、らしい、話しかできない。

2

 祖母の今後について悩んでいるというのは、私が、母親の電話するのを聞いて、そう思った。
 祖母は北陸に住んでいる。そんな、寒く、子供達と遠いところに住んでいると、手術が終わって健康になったとしても、万が一の時に色々面倒になる、それで今後東京に引き取るか、どうか、そういう話らしい。
 電話越しで母は、「老人一人引き取ることの大きさ」を語っていた。
 それで考えた。
 自分がおじさんになって、両親を家に引き取る時、揉めたら申し訳ないなと。私ならどうするだろうか。優しさを発揮して、うちにおいでよと言ってしまいそうだ(この頃には家を持っている予定である)。
 しかし「老人を引き取ることの重さ」これが心に引っかかる。私は現実を見ていないのだろうか。お金がかかる、このことに私は疎いのである。

3

 ということがあって、また、最近転職活動をしていて、雇用形態や給与、年金のことを考えるようになったというのも相まって、徐々に、優しさだけじゃ生きていけないということ、社会に深くその根を伸ばすお金という存在の大切さを、知りつつあるのである。
 優しいだけじゃ、採用はもらえないし、老人を預かってもやっていかれない。それが社会らしいということが、ぼんやりわかってきた。今回はその報告である。
 わかったとはいえ、不本意である。だから、優しさはきちんと維持してやろうじゃないか。

4

 今回はなんとなく、真面目な話をした。あと、一文をできるだけ長く長く書いてみた。
 最後は短歌でまるくおさめる。
 面白かったらそれなりの反応をくれると嬉しいな。

このうちの一棟もおれのものでないことの不思議よ ビルを見下ろす
明日郎

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