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『銀河系』のお話し (2)宮沢賢治は,なぜ『銀河系』という言葉を知っていたのか?

「銀河のお話し」の続編です。
カバーの全天写真は「2ミクロン・オール・スカイ・サーベイ」の成果です。https://www.ipac.caltech.edu/2mass/gallery/images_misc.html


「銀河のお話し」の状況設定と同じです。

1936年以前は『銀河系』という言葉はなかったのか?

天の川銀河のことをなぜ銀河系と呼ぶのか? 不思議だ。しかし、昨日、それなりにわかりやすい結論を得た。

その答えは『The Realm of the Nebulae』ハッブルが1936年に出した本にあった。この本には「the galactic system」という言葉があった。この本を翻訳した相田八之助は『星雲の宇宙』の中で「銀河系」と訳した。1937年のことだ。それがもとで、「銀河系」という言葉が定着した。これが昨日の結論だった。

それなりに説得力のあるストーリーだ。なぜなら『The Realm of the Nebulae』は刊行当時から名著中の名著として日本でも高く評価されていた。その本に出ている言葉から「銀河系」という言葉が定着したという説は、とてもよさそうに思えた。

しかし、翌日。輝明はこの議論を思い出して悩んでいた。本当に昨日の結論でよかったのか? 輝明はひとつ重要なことを見逃していた。「1937年より前に「銀河系」という言葉はなかったのか?」このチェックだ。もし、あったら、ハッブルの本は「銀河系」という言葉の起源にはならないではないか。昨日は、なぜこんな基本的なことに気が付かなかったのか。いやはや・・・という感じだ。

自分の未熟さを反省しつつ、とりあえず天文部の部室に向かう輝明だった。

宮沢賢治が「銀河系」を使っていた!

部室に入ると、優子の姿があった。

優子も輝明に気がついた。

「あっ! 部長。ちょうどよかったです。昨日、あの後、大事なことを思い出しました。」
「大事なこと?」
「はい。宮沢賢治の作品に銀河系や銀河系統という言葉が出てくることを思い出したんです。賢治は1933年に亡くなっています。つまり、銀河系という言葉の起源はハッブルの1936年の本より前に、あったことになります。」

「そうか、宮沢賢治か・・・。 優子、いいところに目をつけたね。」
「賢治の詩に「銀河系の玲瓏レンズ」という不思議な言葉あったことを思い出したんです。」
「宮沢賢治は天文の知識が豊富だった人だ。賢治が作品の中で銀河や天の川という言葉をどのぐらい使っていたか調べたことがあるんだ。パソコンにそのとき調べた結果がしまってあるから見てみよう。もっと、早く思い出せばよかったよ。」

輝明は急いでパソコンを立ち上げ、該当するスライドを探し始めた。

「あった! これを見てごらん。」

宮沢賢治は天の川が好きだった。

「おおーっ! たしかに銀河系があるぞ!」

優子も感動を抑えきれなかった。

「やっぱり!」

「この表を見ると、圧倒的に「天の川」が多いことがわかる。使用回数は90回。しかし、「銀河」も結構な頻度で使われているね。なにしろ、天の川の使用頻度の約半数もあるんだ。47回という数字もすごい。

ところが、「銀河系」はたった一回だ。でも、大事なことは「銀河系」という言葉が使われていたことだ。

また、耳慣れない言葉だけど「銀河系統」という言葉が一回使われている。これはいったいなんだろうね。」

「銀河系」の玲瓏レンズ

なんと、賢治の作品に「銀河系」という言葉が使われていたのだ。優子の記憶力はたいしたものだ。

賢治が亡くなったのは1933年。ハッブルの『The Realm of the Nebulae』の翻訳本である『星雲の宇宙』が出たのが1937年。賢治はなぜ銀河系という言葉を知っていたのだろうか? 俄然、興味が湧いてきた。

優子が質問した。
「銀河系は一回出てきますが、確認してみたいです。」
 輝明はこの結果をまとめたときの資料を収めてあるフォルダーに移動して調べ出した。

「おっ、あったぞ。『青森挽歌』という詩だ。詩集『春と修羅』の「オホーツク挽歌」に収められている詩だ。賢治が1923年の夏にサガレン(サハリン、樺太)を旅行したときに作ったものだ。この詩は実に252行に及ぶ長大な詩なんだけど、出だしの文章を見てみよう。

こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
  (乾いたでんしんばしらの列が
   せはしく遷ってゐるらしい
   きしやは銀河系の玲瓏レンズ
   巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
りんごのなかをはしってゐる
けれどもここはいつたいどこの停車場〔だ〕
枕木を焼いてこさえた柵が立ち
  (八月の よるのしづまの 寒天凝膠 [アガアゼル]) 
(第二巻、156頁)」

「よかったね。「きしやは銀河系の玲瓏レンズ」という一文がちゃんとあるよ。」「でも、なんだか、すごい詩ですね。」
「『銀河鉄道の夜』の布石となる作品と位置付けられている作品だ。
この旅行の前の年、賢治の最愛の妹、トシが亡くなった。サガレン(樺太、サハリン)旅行はその鎮魂の旅だと思われている。そもそも挽歌だ。致し方ない。闇夜のなか、みちのくを汽車が疾走する。これ自身、銀河鉄道と言ってもよいぐらいだ。賢治の優れた感性を感じるのは、銀河系を玲瓏レンズと表現するところだろうね。“玲瓏”は美しく照り輝く様子を意味している。あるいは、透きとおった硝子玉を思い浮かべればいい。しかし、僕なんか、日常生活で玲瓏という言葉を使うことはない。」

「私もです。」

「天の川銀河は円盤銀河なので、真横から見ると円盤は少し膨らみを持っているのでレンズのように見える(図1)。賢治は天の川の構造をよく理解していたようだ。ただ、銀河系という言葉が使われているのは、この詩だけだ。その理由はよくわからない。ひとつ重要なことはこの詩は1923年に書かれたということだ。」


図1 玲瓏レンズと称された天の川銀河の姿。上は天の川銀河を真上から見た図で、下が真横から見た図。真横から見ると銀河円盤が膨らんでいるのでレンズのように見える。賢治の言う、玲瓏レンズだ。

「賢治はどこで「銀河系」と言う言葉を見たんでしょうね?」
「うん、謎だ。少なくとも1923年より前に、何かの本に出ていたんだろう。それを突き止めたいものだ。」

謎の「銀河系統」

「ところで、銀河系統ってなんですか?」

「うーん、なんだろうね。たぶん、「系」を「系統」に置き換えただけだと思うよ。その意味では、銀河系と同じだ。」

「銀河系統という言葉は賢治の詩〔生徒諸君に寄せる〕の中に出てきたんですけど、なんだか違和感がありました。」

「この詩は賢治が四年間勤務した花巻農学校を退職するときに、生徒のために書いたものだ。1927年の作だ。普通の詩とは見做されていないようで、『【新】校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房)では〔「詩ノート」付録〕として採録されている。」

 輝明はその文章をスライドで見せてくれた(図2)。

図2 宮沢賢治の作品に出てくる「銀河系統」という言葉。

「現在では、僕たちは“銀河系統”という言葉を使うこともないし、聞くこともない。ただ、これは天の川銀河のことだと思ってよい。そういえば、古川龍城という人が大正十三年に出した『星のローマンス』(新光社)には「宇宙系統」という言葉が出てくる。これは、系外銀河、天の川銀河の外にある銀河のことなんだけど、「宇宙系統」とはすごい言葉だ。」

そして、輝明はさらなる発見談を披露した。

「当時の天文学の教科書を眺めていたら、なんと“太陽系統”という言葉まで見つかった(図3)。この“太陽系統”という言葉は太陽系と同義で用いられているんだ。どうも昔の人は「系統」という言葉が好きだったみたいだ。」

「私たちの感覚では、ピンと来ないですが・・・。」

図3 『星學 全』(須藤傳次郎 著、博文館、明治36年:初版は明治33年、188頁)に出てくる“太陽系統”という用語。

「結局、「銀河系統」は銀河、天の川銀河のことを意味していると考えていいんじゃないかな。ただ、賢治がなぜこの詩ノートでは銀河系統という言葉を使ったのかは不明だ。「この銀河系を解き放て」でも、特に問題はないように思うんだけど。」
「本当に不思議ですね。他の詩でも使っているんだったらわかりますけど。大事なことは、「銀河系」という言葉の起源はハッブルの1936年の本ではないことが確認できたことですね。」
「うん、昨日の結論は間違っていた。まいったね。振り出しに戻ってしまった。」

 輝明は頭を抱えた。しかし、これは面白い展開だ。ハッブルの1936年の本が起源ではないとしたら、いったい何が「銀河系」という言葉の起源なのか? それを調べることはとても大切だ。

「優子、もう一日だけ、時間をもらいたい。調べてみるよ。」

 そう言い残して、輝明は部室を後にした。

「明日、答えがわかるかも。」

そう期待して、優子も部室を後にした。
とりあえず、古民家カフェに行こう。
あそこのカフェラテは美味しいのだ。


<<<今までのお話>>>
『銀河系』のお話し (1)僕たちの住んでいる銀河は,なぜ『銀河系』と呼ばれるのか?
https://note.com/astro_dialog/n/n45824f0b6272

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