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宮沢賢治の宇宙(77) 『銀河鉄道の夜』に隠された賢治の思い

洋々社『宮沢賢治』に出てくる『銀河鉄道の夜』

前回のnoteで紹介したように、洋々社から刊行された『宮沢賢治』は全17巻にもなる大作である。

全17巻のうち、『銀河鉄道の夜』が特集扱いになっている巻(第1巻、第7巻、第14巻、第17巻)の目次を図1にまとめておこう。

図1 『銀河鉄道の夜』が特集扱いになっている巻(第1巻 [右上]、第7巻 [左上]、第14巻 [左下]、第17巻 [右下])の目次。

実は、他の巻でも、特集扱いではないものの、『銀河鉄道の夜』に関する記事が載っている。

第4巻 「銀河鉄道の夜」構想の変容 松平清美 177頁
第6巻 天気輪の柱と東洋の星学 香取直一 146頁
第8巻 『銀河鉄道の夜』の物語として構造 斉藤純 102頁
第10巻 「銀河鉄道の夜」の七つの問題 香取直一 146頁
第15巻 銀河鉄道と猫バス 奥山文幸 142頁
第16巻 『銀河鉄道の夜』における死の主題 小浜逸郎 18頁
第16巻 『銀河鉄道の夜』と機関車 佐々木桔梗 200頁

なんと、7つもある。これらだけで、もうひとつ『銀河鉄道の夜』の特集号ができそうだ。

それにしても不思議である。たったひとつの童話に対して、これだけの論考が寄せられる。いったい、何がこうした状況を生み出しているのだろう。

『銀河鉄道の夜』に潜む多様性

さまざまな観点から寄せられる論考。この原因は、先のnoteでも書いたが、『銀河鉄道の夜』には「幸い」、「生と死」、「愛」、「宗教」、「天文学」、「科学」など、たくさんのキーワードがある。ひとつの童話なのだが、多様な要因が重なり合って、物語が構成されているのだ。

銀河鉄道の旅路も盛りだくさん。どうしてこんなにたくさんの場所を、賢治は選んだのだろうと思うほどだ(図2)。童話、あるいは少年小説として銀河鉄道がメインになる作品は『銀河鉄道の夜』しかない。賢治はありったけの知識や想い・願いを投入したということか。

図2  銀河鉄道の旅路。ここでは駅はその星座の一番明るい星(α星)であるとしている。銀河ステーションは情報がないので、この図には書き入れていない。なお、南十字の停車場はα星にする理由が感じられないので、星座全体を丸で示しておいた。また、ランカシャイヤ、コンネクトカット、パシフィックが何を意味するのか不明であるが、話題が提供されたあたりに示しておいた。さらに「カラス座」、「くじゃく座」、「インディアン座」、「つる座」の位置も示した。アルビレオ(「はくちょう座」β星)の観測所、コロラドの高原、双子のお星さまのお宮、ケンタウルの村、石炭袋、マジェラン(大マゼラン雲と小マゼラン雲)の位置も示した。なお、双子の星については、童話『双子の星』の情報に基づいて「こと座」ε(イプシロン)星とした。 https://www.hokkyodai.ac.jp/info_pressrelease/kus/detail/171.html

多様な登場人物

銀河鉄道の旅路はバラエティに富んでいる。しかし、バラエティに富んでいるのは旅路だけではない。登場人物も実に多彩なのだ。

第一節の「午后の授業」では先生と、生徒であるジョバンニ、カムパネルラ、そしてザネリが出てくる。しかし、教室にはもっと生徒がいるはずだ。名前は出てこないものの、この節を読むと、賑やかな教室の風景が頭に浮かぶ。実際、第二節の「活版所」には「ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラを真ん中にして校庭の隅の桜の木のところに集まってゐました」とある。(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、126頁)

さらに、第二節の「活版所」では次のように、活版所の所員が出てくる。

入口の計算台に居ただぶだぶの白いシャツを着た人
きれで頭をしばったりラムプシェードをかけたりした人たちが、何か歌ふやうに読んだり数えたりしながらたくさん働いて居りました。
入口から三番目の高い卓子に座った人
青い胸あてをした人がジョバンニのうしろを通りながら、「よう、虫めがね君、お早う。」と云ひますと、近くの四五人の人たちが声もたてずこっちも向かずに冷くわらひました。 
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、126頁)

これを読むと、活版所には10人以上の人が働いているようだ。つまり、教室と活版所だけで、名前は不明だが、数十人の人が出てきていることになる。

第三節の「家」ではジョバンニの母が出てくる。父と姉は家にはいないが、ジョバンニの家族が明らかにされる。

第四節の「ケンタウル祭の夜」では牛乳屋さんにいた年老(と)った女の人が新たに出てくる。

ここまでが『銀河鉄道の夜』の前哨戦だが、第五節の「天気輪の柱」から、いよいよ銀河鉄道での旅が始まる。銀河鉄道にも、そして天の川の中にもたくさんの登場人物が出てくる趣向になっている。ここからが、『銀河鉄道の夜』の本番である。

あからさまには出てこないが、

銀河鉄道には機関士がいる
停車場には駅員がいる

また、銀河鉄道にはジョバンニたち以外にも乗客がいる

尼さんたち

タイタニック号からやってきた人(青年、女の子 [かほる、かほる子]、男の子 [タダシ])

さらには不可解な二人が出てくる。

鳥捕り
燈台守(燈台看守)

そして、当然だが車掌さんが乗っている

銀河鉄道には乗っていないが、天の川の中で見かけた人がいる

プリオシン海岸で発掘作業をしていた大学士と助手
鳥に指示を与える信号手
工兵演習をしている工兵たち
年寄りらしい人
白い着物を着た人
そしてインディアンまで出てくる

もう、混乱の極みという感じだ。

そして、銀河鉄道の旅を終えて現実の世界に戻ってからも新たな登場人物が出てくる。

  カムパネルラのお父さん
  ジョバンニの級友、マルソとカトウ
  牛乳屋さんの白い太いズボンをはいた人

銀河鉄道に乗っていた人たち

『銀河鉄道の夜』は賑々しい演出が施されていることがわかる。たくさんの人たちが登場したが、銀河鉄道に乗っていた人たちに着目しよう(表1)。主人公のジョバンニ、そして親友のカムパネルラと深く関わった人たちだからだ。

表1   銀河鉄道に乗っていた人たち

この中で不思議な人が二人いる。鳥捕りと燈台守(燈台看守)だ。鳥捕りはひょっとしたら、戦死者の供養のために出てきたのかもしれない。鳥捕りは「鳥を獲る人」になっているが、その過去は「人を獲る人」、人捕りだった可能性が否定できないからだ。一方、燈台守(燈台看守)については、皆目見当がつかない。

車掌は鉄道業務に必要だから出てくるとして、残りは「本当の幸せ」、「本当の神様」を願っている人たちだろう。

前回のnoteで、賢治は法華文学を捨てて、少年小説への道を歩み始めたという話をした。

もし、たくさんの宗教があるとどうなるか? 宗教が10個あれば、神様も10人いる。では、どの神様が偉いのか? 必ずそういう議論に陥ってしまう。

ここで『銀河鉄道の夜』の一節を見てみよう。タイタニック号からやってきた青年とジョバンニの会話だ。

「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑いながら云ひました。
「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんたうのたった一人の神さまです。」
「ほんたうの神さまはもちろんたった一人です。」
「あゝ、そんなんでなしにたったひとりのほんたうのほんたうの神さまです。」  
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、165頁)

賢治の基本的な考えは『農民芸術概論綱要』の序論に出てくる。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十三巻、9頁)

この実現には、たった一人の神様のいる、争いのない平和な世界の到来を待つしかない。

宗教の統一モデルへの道

賢治は決して法華経を捨てたわけではなかった。法華経や、あらゆる宗教を包含する、一つの大きな宗教の構築を夢見ていたのである。

その証拠が残されている。『春と修羅』第二集に〔東の雲ははやくも蜜のいろに燃え〕という詩がある(『【新】校本 宮澤賢治全集』第三巻、48-49頁)。この詩の下書稿の裏面に次のメモが残されている(図3も参照)。


 科学に威嚇されたる信仰、
 本述作の目安、著書、  異構成 — 異単元
一、 異空間の実在、天と餓鬼、 分子—原子—電子—真空
    幻想及夢と実在、
二、 菩薩仏並に諸他八界依正の実在
  内省及実行による証明
三、 心的因果法則の実在
  唯有因縁
四、 新信行の確立、
  (『【新】校本 宮澤賢治全集』第三巻、校異篇113頁;第十三巻(下)、本文篇、262頁;第十三巻(下)、校異篇84頁)

図3 『春と修羅』第二集にある〔東の雲ははやくも蜜のいろに燃え〕という詩の下書稿の裏面に残されたメモ。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十三巻(下)、本文篇、262頁)

ここで着目すべきは最後の項目、「新信行の確立」である。この「新信行」こそが、大きな宗教、賢治の求めた大宗教なのだ。この話題については上田哲による『宮沢賢治 その理想世界への道程』(明治書院、1985年、316-318頁)で議論されている。また、優れたサマリーは山根知子による「ほんたうの神様」にあるので参照されたい(『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読む』西田良子 編著、創元社、2003年、51頁)。

賢治はこの大宗教である「新信行」には、かなりご執心だった。1929年の4月、賢治が33歳のときのことだが、雑誌「銅鑼」の同人で、中国人の黄瀛(こうえい)が賢治を訪問した。賢治は肺炎を病み、病院に入院していたが、病室で大宗教のことを語る賢治の様子には恐怖に近いものを覚えたとのことだ(「南京より」黄瀛、『宮澤賢治研究』草野心平編、十字屋書店版、1939年、253-256頁。なお、この話は『年表 作家読本 宮沢賢治』山内修 編、河出書房新社、1989年、159頁でも紹介されている。)。

『銀河鉄道の夜』は、いったい誰のために書かれたのか? それは、「新信行」の確立を目指した賢治自身のために書かれたと言っても過言ではない。だが、その目的は賢治個人の幸せではない。世界全体の幸福である。

結局わからないのは「鳥捕り」と「燈台守(燈台看守)」

こうして、『銀河鉄道の夜』の主たる目的は「新信行の確立」にあることと考えてよさそうだ。『銀河鉄道の夜』は銀河鉄道で天の川の中を楽しく旅をする童話ではないのだ。とても、天文学者が出る幕はない。

結局わからないのは「鳥捕り」と「燈台守(燈台看守)」の二人の役割である。これについては、また別途考えることにしよう。ここでも、天文学者が出る幕はなさそうだが・・・。

難題が残るのは、いつものことだ。

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