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宮沢賢治と宇宙(75) 銀河鉄道の旅路、再訪―「こと座」ε星説を受け入れて

銀河鉄道の旅路

銀河鉄道はいったいどこを走ったのだろう?
銀河鉄道の旅路をざっと概観すると図1のようになる。

図1 銀河鉄道の旅路。南十字には停車場という言葉は使われていない。『銀河鉄道の夜』では、単にサウザンクロスと書かれている(『銀河鉄道の夜』(『宮沢賢治全集7』ちくま文庫、1985年、268頁および288頁)。石炭袋の停車場があるかどうか不明なので、この図には示さなかった。なお、『銀河鉄道の夜』の第五節「天気輪の柱」には「青い琴の星」が出てくるので、ここを出発点とした。「こと座」は天の川から離れたところに位置している星座なので、第五節で紹介し、銀河鉄道に乗る旅は第六節の「銀河ステーション」からスタートさせたのだろう。

次に、銀河鉄道で立ち寄った、あるいは車窓からみた景色をまとめたものが図2である。たったひとつの童話なのに、あまりにもたくさんの場所が出てくるのに驚く。星好きの賢治にとって、銀河鉄道の旅はまさに夢のような旅だったはずだ。行きたいところがたくさんあってしょうがない。 そういう気持ちが現れているように感じる。

図2 銀河鉄道の旅路。ここでは駅はその星座の一番明るい星(α星)であるとしている。銀河ステーションは情報がないので、この図には書き入れていない。なお、南十字の停車場はα星にする理由が感じられないので、星座全体を丸で示しておいた。また、ランカシャイヤ、コンネクトカット、パシフィックが何を意味するのか不明であるが、話題が提供されたあたりに示しておいた。さらに「カラス座」、「くじゃく座」、「インディアン座」、「つる座」の位置も示した。アルビレオ(「はくちょう座」β星)の観測所、コロラドの高原、双子のお星さまのお宮、ケンタウルの村、石炭袋、マジェラン(大マゼラン雲と小マゼラン雲)の位置も示した。

銀河鉄道の旅路、改訂版

双子のお星ざまのお宮は、今までは「さそり座」のλ(ラムダ)星とυ(ウプシロン)星としていた(図2)。しかし、「さそり座」にはないとする説の方が有望である。いろいろ調べた結果、お星ざまのお宮のある場所として最も可能性が高いのは、松原尚志の提案した「こと座」のイプシロン星であることがわかった。

そこで、図2に示した銀河鉄道の旅路を改訂し、図3のようにした。

図3 双子の星のお宮の場所として、松原尚志の提案する『「こと座」のε(イプシロン)星説』を採用した場合の銀河鉄道の旅路。

『銀河鉄道の夜』における「双子の星」の位置付け

『銀河鉄道の夜』に、なぜ双子の星の話が出てくるのか? その唐突感は入沢康夫と天沢退二郎もし適している(『討議 『銀河鉄道の夜』とは何か』(入沢康夫、天沢退二郎、青土社、1976年、46頁)。

ペルセウス座の二重星団、h+χ Per説を提案した竹内薫・原田章夫も次のように述べている(『宮沢賢治・時空の旅人 文学が描いた相対性理論』日経サイエンス社、1996年、86頁)。

「銀河鉄道の夜」のこの部分は(註:双子の星の部分)、原稿を調べてみると賢治が二十二歳のときに書いた「双子の星」がメモのように引用されているだけなのです。それも、まったく関係ない英語の献立メニューや値段表にまぎれて、なぐり書きで挿入されているのです。

実際に、『銀河鉄道の夜』の生原稿のコピーを見てみよう(図4)。これでは、どうしようもない。

 
 
図4 『銀河鉄道の夜』の生原稿のコピー。(1)『銀河鉄道の夜』の書き出し、一、午后の授業、(2)第五節 天気輪の柱、(3)「双子の星」の話が出てくる箇所。 (『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の原稿のすべて』監修・解説 入沢康夫、宮沢賢治記念館、1997年、(1)5頁、(2)24頁、(3)71頁)

ところで、チュンセとポーセは賢治の小品〔手紙 四〕にも出てくる。明らかにチュンセは賢治、ポーセは妹のトシである(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十二巻、筑摩書房、1995年、319-321頁)。賢治は『銀河鉄道の夜』に妹のトシをポーセとして登場させ、挽歌の香りを漂わせたかったのだろう。しかし、賢治には残された時間がなかった。結局、双子の星の話はポッカリと浮いたまま残ってしまったということになる。

『銀河鉄道の夜』を読んでも、双子の星が何か知ることはできない。それには、こういう理由があったのだ。

「こと座」ε星説

竹内薫・原田章夫によるペルセウス座の二重星団、h+χ Per説も魅力的だった(『宮沢賢治・時空の旅人 文学が描いた相対性理論』日経サイエンス社、1996年)。しかし、結局、松原尚志の提案する『「こと座」のε(イプシロン)星説』を採用した。

夏の夜空に見える。
天の川の西の岸にある。
さらに西へ行くと泉がある。
この泉は「かんむり座」である。

これらの条件を満たす星座には「こと座」がある。「こと座」にはダブル・ダブル・スターとして名高い連星のペア、ε1とε2がある(図5)。チュンセとポーセの童子にお似合いである。ということで「こと座」ε説が提案された。

図5 「こと座」ε星。ε1とε2から成る。ε1とε2はそれぞれ連星である。このことはドイツ生まれの英国の天文学者ウイリアム・ハーシェル(1738-1822)によって1779年に発見されている。ε1はε1 A星(4.99等、A3 V)とε1 B星(6.06等、F0 V)から成る。2.2秒角離れており、公転周期は1800年。ε2はε2 A星(5.23等、A6 V)とε2 B星(5.35等、A7 V)から成る。2.4秒角離れており、公転周期は720年。四つの星のスペクトル型はA3型からF0型なので、青白く見える。 https://ja.wikipedia.org/wiki/こと座#/media/ファイル:Epsilon_Lyrae_the_double-double.jpg

天の川は連星だらけ

しかし、なぜ「こと座」ε星なのかという疑問は残るだろう。『双子の星』には「こと座」ε星であるという記述はないからだ。

実は、「こと座」には他にも連星がある(図6)。

図6 「こと座」の連星(赤丸)。ε星は青丸で示してある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/こと座#/media/ファイル:Lyra_IAU.svg

前回のnoteでも書いたように、天の川の中にある星の半数は連星なのだ。しかし、この事実が判明したのは観測が進んだ20世紀後半のことである。

賢治の時代に有名だった連星はε星だった(図7)。そのため、「双子の星」に該当する候補としては、「こと座」ε星は最適の候補なのだ。

 
図7 (上)『洛氏天文学』上冊(ジェー・ノルマン・ロックヤー著、内田正雄、木村一歩 訳、文部省、1879年)の表紙。(下)「こと座」ε星の説明。

ユニーク(一意的)に指定できないのは残念だが、「こと座」ε星説を受け入れてよいだろう。

銀河鉄道の旅は楽しい(図8)。
ジョバンニもこの星が好きだったことを祈る。

図8  銀河鉄道の旅路。 釜石線を走るSL銀河の写真:畑英利 ガイア衛星の第二次公開データに基づく全天画像。https://www.cosmos.esa.int/web/gaia/gaiadr2_gaiaskyincolour 


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