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宮沢賢治と宇宙(71) 銀河鉄道の旅路

『銀河鉄道の夜』を読みなおす

数年前、宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』を読んだ。私は天文学者なので、天文関係の話題が出てくると、そこで熟読モードになる。それはよいのだが、天文に関係ない話題が続くと、どうもあまり熱心に読まなくなる。これは悪い傾向だ。要するに、童話として『銀河鉄道の夜』をきちんと読んでいないことになるからだ。

 最近、ふと思った。銀河鉄道はいったいどこを走ったのだろう? 「はくちょう座」の北十字から「みなみじゅうじ座」の南十字へ。これが基本の旅だ。しかし、「白鳥の停車場」や「鷲の停車場」、「南十字の停車場」はどこにあるのだろうか? さらに問題がある。銀河鉄道は天の川の中を走ったのではない。天の川を地上に投影し、実は地面を走っていたのだとする説もある。例えば、天の川はイーハトーブ(岩手県)の北上川と想定することも可能だ。何しろ『銀河鉄道の夜』第7節の「プリオシン海岸」での話は、まさに北上川のイギリス海岸で賢治が経験した内容が書かれている。

しかし、このnoteでは銀河鉄道は天の川を走ったことにしたい。その仮定のもとに銀河鉄道がどこを走ったか考えてみたい。

銀河鉄道の旅路

まず、銀河鉄道の旅路をざっと概観しよう(図1)。多くの論考では「銀河ステーション」から天の川の旅が始まる。しかし、『銀河鉄道の夜』の第五節「天気輪の柱」には「青い琴の星」が出てくる。ジョバンニは町外れの丘に登ったことで、息は切れ、天気輪の柱の下でどかどかする身体を休めていた。すると天気輪の柱が突然、三角標(星のこと)に姿を変え、ジョバンニは「銀河ステーション」というアナウンスを耳にした。ここで、実際には天の川の旅が始まることになる。

では、「青い琴の星」はどうなっているのだろうと思うだろう。それは問題ない。「こと座」は天の川から離れたところに位置している星座である。賢治はそのことを意識して、銀河鉄道の旅を第六節の「銀河ステーション」からスタートさせたと考えることができる。

銀河鉄道の時刻表

ここで、銀河鉄道の時刻表を確認しておこう(表1)。

a 『科学者としての宮沢賢治』斎藤文一、平凡社新書、2010年、75頁。 b 『銀河鉄道の夜』第五節「天気輪の柱」で、青い琴の星が出てくるので、そこを出発点として採用した。 c 11時到着だが、夜なので23時。 d 斎藤文一は仮の駅名として“さそりの停車場”としている。 e 時刻の前に“第”が付いている。 f 南十字ステーションに停車した後も、銀河鉄道は走る。“けれどもそのときはもう硝子の呼子は鳴らされ汽車はうごき出しと思ふうちに銀いろの霧が川下の方からすうっと流れて来てもうそっちは何も見えなくなりました。”という記述がある。その後、カムパネルラが石炭袋に気がつくが、そこで停車したかどうかは不明。したがって、石炭袋の停車場があるかどうかも不明。

この時刻表に従って、銀河鉄道の旅路を図1に示す。

図1 表1の時刻表に準拠した銀河鉄道の旅路。南十字には停車場という言葉は使われていない。『銀河鉄道の夜』では、単にサウザンクロスと書かれている(『銀河鉄道の夜』(『宮沢賢治全集7』ちくま文庫、1985年、268頁および288頁)。石炭袋の停車場があるかどうか不明なので、この図には示さなかった。

「銀河ステーション」の場所を特定する情報は『銀河鉄道の夜』にはない。そのため、考えるにしても想像するだけになる。しかし、白鳥の停車場などは星座名が指定されているので考えやすい。最もシンプルなアイデアは、その星座で一番明るい星に駅があるとするものだ。「はくちょう座」ならデネブ、「わし座」ならアルタイルに駅があることになる。このアイデアを一旦採用しよう。さらに、『銀河鉄道の夜』に出てくる場所を書き入れたものが図2である。

図2 銀河鉄道の旅路。ここでは駅はその星座の一番明るい星(α星)であるとしている。銀河ステーションは情報がないので、この図には書き入れていない。なお、南十字の停車場はα星にする理由が感じられないので、星座全体を丸で示しておいた。また、ランカシャイヤ、コンネクトカット、パシフィックが何を意味するのか不明であるが、話題が提供されたあたりに示しておいた。さらに「カラス座」、「くじゃく座」、「インディアン座」、「つる座」の位置も示した。アルビレオ(「はくちょう座」β星)の観測所、コロラドの高原、双子のお星さまのお宮、ケンタウルの村、石炭袋、マジェラン(大マゼラン雲と小マゼラン雲)の位置も示した。なお、双子のお星ざまのお宮は、ここでは「さそり座」のλ(ラムダ)星とυ(ウプシロン)星としている。しかし、「さそり座」にはないとする説の方が有望である。これについては、別のnoteで議論する。

図2を見るとわかるが、「こと座」は天の川から外れた場所に位置している。一方、白鳥、鷲、蠍、南十字の星座はいずれも天の川の方向にある。賢治が琴の停車場を外した理由がここにあるのだろう。

つまり、銀河鉄道の線路はまっすぐ敷かれているのだ(図2の中央部に示した黄色い線)。これを考慮すると、白鳥、鷲、蠍、南十字の停車場は、それぞれ該当する星座の中にありさえすればよい。つまり、無理にα星に限定する必要はない。

天の川で寄り道するのは不可能

星座は天球面に見える星々の分布だ。別に近い星々が集まって形を作っているわけではない。例えば北十字を形作る「はくちょう座」の五つの星々までの距離はまちまちである(図3)。ε星までの距離は73光年(一光年は光が一年間に進む距離で、約10兆キロメートル)だが、α星のデネブまでの距離は1400光年もある。とても簡単に行き来できる距離ではない。銀河鉄道が光速で走ったとしても1000年以上はかかるからだ(人の寿命はたかだか100年)。賢治も寄り道はできないと思ったのだろう。

図3 「はくちょう座」の明るい五つの星々までの距離。図5にもスペクトル型の情報を入れてある。B型星やA型星はやや青く、K型星やM型星はやや赤い。F型星は黄色っぽい色である。

「みなみじゅうじ座」の明るい四つの星々までの距離もγ星の89光年からα星の320光年まで、大きな開きがある(図4)。こちらも簡単に行き来はできない。

図4 「みなみじゅうじ座」の明るい四つの星々までの距離。

夏の夜空を彩る明るい星、ヴェガ(「こと座」)、デネブ(「はくちょう座」)、そしてアルタイル(「わし座」)。これらは「夏の大三角」を形作っているが、これらの三つの星もお互い離れている(図5)。ヴェガとアルタイルまでの距離は約20光年だが、デネブまでの距離は1400光年もある。三つの星は、たまたま同じような明るさの1等星に見えているだけなのだ。

図5 「夏の大三角」。「こと座」のヴェガ、「はくちょう座」のデネブ、そして「わし座」のアルタイルの三つの1等星が形作る夜空の模様である。このように、星座と無関係に形作られる模様は「アステリズム」と呼ばれる。アステリズムのよい例は「おおぐま座」にある北斗七星である。 (写真:畑英利)

星座は二次元の世界

星の明るさ(光度)や星までの距離はさまざまであることは賢治の時代にもわかっていた。本来ならば星の分布は三次元空間の中で議論されなければならない。賢治も十分にわかっていたはずだ。

しかし、私たちは夜空に輝く星々を天球面に投影して見ている。奥行き方向は意識の外にある。

結局、星座は二次元の世界なのだ。賢治もその考えを踏襲することにしたのだろう。そのおかげで、銀河鉄道の旅はシンプルになった。白鳥の停車場はデネブである必要はなく、「はくちょう座」の方向にあればよいのだ。『銀河鉄道の夜』にはそれ以上の情報はないので、停車場の場所を正確に指定することはできない。残念。

砂の中の銀河

賢治の童謡に「あまの川(がは)」がある。

あまのがは
岸の小砂利も見いへるぞ。
底のすなごも見いへるぞ。
いつまで見ても、
見えないものは、水ばかり。
 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第六巻、筑摩書房、1996年、181頁)

これは地上を流れる川を天の川に見立てているとしか思えない。その川はもちろん北上川だ。

そんなことを考えていたら、中島みゆきの歌が頭に浮かんだ。『地上の星』だ(2000年7月19日ヤマハミュージックコミュニケーションズから発売)。

🎵 風の中のすばる 砂の中の銀河

結局、銀河鉄道は天の川を地上に投影した線路を走っていたのだろうか。みんな何処へ行ったのだろう? 見送られることもなかったのだろう。

それでもいい。銀河鉄道よ、明日に向かって走っておくれ。ジョバンニとカムパネルラを乗せて。


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