宮沢賢治の宇宙(10) 賢治とゴッホのお月見
月を見るゴッホ
『十五夜お月さん』 子供の頃、この童謡を歌った記憶がある人は多いだろう。暗い夜道を照らしてくれる月は、ありがたい存在だ。ただ、星空を堪能したいときは、月明かりは欲しくない。そのため、天文ファンにとって、月は微妙な存在とも言える。しかし、月が嫌いな人はいないものだ。
また、形を変える月に自分の思いを詠む人もいる。
この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば
この歌を詠んだのは平安時代に摂政関白太政大臣に上り詰めた藤原道長(966-1028)だ。この歌は極端な例かもしれないが、月の形と東の空に昇る時間帯を意識していた人は多い。望月は満月なので、太陽が沈んだときに東の空に登ってくる。次の日は十六夜、いざよいの月だ。十七夜以降は、立待(たちまち)、居待(いまち)、寝待(ねまち)、更待(ふけまち)と続く。十八夜までは月の出を立って待っていられるが・・・。やはり、人は月の出を待っているのだ。
天文部の部室のソファーに寝転がって、輝明がこんなことを考えていたら、部室に優子が入ってきた。
「はい、部長、起きてください。」
これはやむを得ない。輝明はよっこらしょと起き上がった。我ながら情けないと思いつつ、優子の方に顔を向けた。
「部長、今日は満月みたいですよ。」
「今日は天気がいい。家に帰る途中、昇ってくる満月が見えるね。」
「この前、ゴッホの絵について少し話をしてから、ゴッホの絵をいろいろ見るようになりました。」
「何か面白い発見はあったかな?」
「ゴッホの《星月夜》には明け方昇ってくる逆三日月の形をした二十六夜月が描かれていました。星月夜は、月がなくても、星あかりだけで月夜のように夜空が明るい夜のことです。本来なら《星月夜》に月は必要ない。そんなことを考えていたら、ゴッホは月をどのぐらい描いたのだろうか、気になり始めました。」
「なるほど、面白い視点だね。」
「ゴッホは800点以上の作品を残しているのに、たった5点しかありませんした(図1)。」
「おお、それはずいぶん少ないね。もっと、たくさんあるかと思っていたよ。」「私もです。」
「しかも、描かれた月の形にはかなりの偏りがあります。三日月が3点、満月が1点、そして《星月夜》に描かれている逆三日月の二十六夜月が1点です。」
「うーん、上弦の月もないのか・・・。たしかに、すごい偏りだね。」
「満月は《小麦畑と昇る満月のある風景》に描かれているんですけど、まるで沈んでいく赤い夕日のようにも見えます。実際、そういう解釈もあったようです。」
「月も太陽も地平線に近い場合、地球大気の吸収の効果で青い光が吸収されちゃうので、赤く見える。この絵を見ると、たしかに月なのか太陽なのか、わからないね。」
「実は、この絵に似た絵がひとつあります。《日光の中のわらぶき屋根の家々:北の回想》です(図2)。
「なるほど、似ているね。昇る朝日、沈む夕日、あるいは昇る満月。悩ましい。」
「ただ、タイトルに「日光の」があるので、月の絵には入れませんでした。」
「了解。しかし、月が描かれた絵がった5点とは、ホントに驚いた。」
月を見る宮沢賢治
「ついでに、宮沢賢治の作品に月がどのぐらい出てくるか調べてみました。」
「おっ、それはすごい!」
「その結果が表1です。ゴッホの結果も合わせて書いておきました。」
「うわあ、新月から始まって、二十六夜の月まであるのか! さすが賢治だね。賢治は夜中の散歩が大好きだった。野宿もヘイチャラ。さらに、登山も大好きだった。」
「岩手山には20回以上も登ったという話がありますね。」
「うん、多くの場合、目的は頂上でご来光を拝むためだったみたいだ。」
「そうなると、夜間の登山ですね。」
「夜空を眺める分にはいいけど、大変だったと思う。何しろ、岩手山の標高は2000メートルを超えている。」
賢治は「弓張(ゆみはり)月」が好きだった
ここで、優子は自分の意外な発見について話した。
「この表を作って初めて分かったんですけど、賢治はいろんな月齢の月を見ています(図3)。その中でも、上弦の月と下弦の月が好きだったんだなあって。」
「弓張月だね。」
「弓張月は弦月(げんげつ)とも呼ばれますが、賢治は弦月の方を好んでいたみたいです。」
「上弦の月なら夕方から夜半まで見えるから、弦月は上弦の月の方を指すんだろうね。」
「はい、そうみたいです。賢治の短歌を調べたら、次の一首がありました。
星もなく赤き弦月たゞひとり窓を落ちゆくは只ごとにあらず(短歌暗号93 大正3年4月)(『【新】校本 宮澤賢治全集』第一巻、17頁、筑摩書房、1996年)
「なるほど、おそらく真夜中に上弦の月が西の空に沈んでいく様子だね。大正3年というと、賢治は18歳。体調を崩して入院したことがあった。病院の窓から眺めた景色かな。賢治は異界を見ることができる人だったみたいだから、これもその類かな。」
「幻視?」
「賢治はガラスのマントを羽織った又三郎を空に見た人だからね。」
「???」
半月の賢治、三日月のゴッホ
賢治とゴッホ。二人は確かに傑出した天才である。面白いのは二人の差が好きな「月」の形に出ていることだ。
今日、輝明と優子は学んだ。
「ゴッホは三日月か二十六夜月(逆三日月)を好んでいた。どうも満月は嫌いなようで、上弦から下弦の月も絵には出てこない。かなり極端な性向が見える。一方、賢治は夜の山歩きで見た、さまざまな形の月を作品に散りばめている(表1)。」
「でも、半月、弓張月が好きだった。」
輝明と優子、二人は確信した。
「弓張月の賢治、三日月のゴッホ(図4)。これが結論だ。」
結論を出してみたはいいが、輝明は首を傾げた。
「ただ、なぜ二人の好みが違っているのか・・・。」
優子がふと思いついた。
「そうだ、賢治さんに聞いてみましょうか?」
「おっ、いいね。」
「賢治さん、どうして半月が好きだったんですか?」
賢治が花巻弁で答える。
「ワガンナイ」
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