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"沼に堕ちた瞬間" 〜そのまえとあと

誰かの熱烈なファンになり、その人が芸能人であればコンサートや舞台に足しげく通う人がいます。

一度観たはずのコンサートや舞台を複数回観に行き、アルバムやDVDも必ず購入し、何度も何度も試聴します。

そういう人が、私は理解できませんでした。
信じられない。
バ○じゃないの?


音楽を聴いたり映画を観たりすることは大好きでしたが、特定のアーチストにそこまでのめり込むことはありませんでした。

そう、2012年某月某日までは。

姉に誘われて行ったライブ。
ほぼ立ちっぱなしの3時間。
観客も疲れますが演者はもっと疲れているはず。
それなのに、汗がしたたり落ちているのが肉眼で見えるほどなのに、彼らは輝いていました。
"オーラ" という言葉では表現しきれないほどの輝きに目を奪われ、雷に撃たれたかのような衝撃を覚えました。

" 信じられないバ○ " に自分が堕ちた瞬間でした。

翌日からDVDやCDを観まくり聴きまくり、ファンクラブに入り、その次のライブツアーは4回観に行きました。チケットが当たっていればもっと行ったはずです。

同じような人が、漫画「ガラスの仮面」にも出てきます。

幕が降りたあとも胸の中には熱い思いだけが残った
こんな思いは生まれてはじめてだった
この自分が誰かのファンになるなどと…
(速水真澄 モノローグ  : 文庫版第20巻)

敵情視察のはずのその舞台で、口を開けてマヤの演技に見とれる真澄さんの気持ちが、私には痛いほどわかります。

北島マヤの底なし沼に堕ちた真澄さんは、幸せだったのでしょうか。
その答えはまだ出ていないようですが、彼はこうも言っています。

もし奇跡がおきて そういう相手に巡り会えたなら
ひとはそれまで自分がどれほど孤独だったか
はじめて気づくにちがいない
(速水真澄 to 桜小路優  : 文庫版第24巻)

私の場合、BS(before SMAP)時代も決して孤独ではありませんでした。
ただ "そういう世界" を知らないだけで、不幸ではありませんでした。

でも、AS(after SMAP)以降は、足を踏み入れて初めて知る多幸感、高揚感に包まれました。
こんな世界があったのか。私は今までなにをしていたのだろう。

堕ちたからこそ見えた世界がありました。

ある特定の抗原に感作されて発症するアレルギー反応。
私の"抗原" であったグループは解散してしまいましたが、沼堕ちを経験した私は自分から別の抗原を探してしまうようになりました。

その抗原が、今は「ガラスの仮面」なのかもしれません。

沼に堕ちたから幸せ、ではないし、そんな経験がないから不幸、でもありません。

でも少なくとも私は幸せでした。

願わくば、某芸能会社のめんどくさい社長にも、幸せが訪れますように…。

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