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傘が貴重品だったあの頃 

梅雨もうすぐあけますでしょうか。

1963年(昭和38年)生まれの私は、昭和40年代を小学生として、過ごしていました。

昭和40年代中頃までは、傘は、とても高級品だったような気がします。
うちは、貧しい部類の家でしたので、なんとなくですが、男性の傘は黒いこうもり傘。それくらいしかみたこともありませんでした。
黄金バットというアニメが流行っていましたが、何か関係あるのでしょうか。こんど調べてみます。

覚えているのは、小学校に一年生の時、
夕方から雨がふりだして。家の電話がなりました。
母親が電話を切ると、「お父さんを駅まで迎えに行ってくるから留守番してて」
確か、最寄の駅前のバス停からは歩いて10分程。
父親は、バスで、帰ってきます。
会社を出る前に連絡して、母親に何分頃に着くという話をしていたのでしょう。

そして、母親は、父親のこうもり傘を持って出て行ったのだと思います。
傘一本しかなくて、相合傘で帰ってきたのかは、記憶にないです。

小学生の時、置き傘とかない時代、雨が降ると、母親が学校にが迎えにくることがありました。
本当は、嬉しいのですけど、なんか恥ずかしくて。

日傘は、お金持ちの奥様が、避暑地で使うものと思っておりました。

雨が降ると家の雨どい、私はとよと呼んでいました。
トヨから落ちてくる雨を、傘を力一杯降り、お化けにして、雨を傘溜める、遊びもありました。
壊れたら、もう買わないよと言われたものでした。

ジャンプ傘は、ボタン押すと、手の力でなく、自動でパッと開く。今では、それも陳腐化されているかもしれませんが、その当時は、お金持ちの男の子(何故か男の子)が唯一持っているものてした。

折りたたみの傘なんて、もちろんなかった時代でした。私の自分で使った記憶にある折りたたみの傘は、中学一年生の時、昭和50年、1975年でした。
折りたたみの傘が、畳めなくて、クラスの女の子がみかねて、助けてくれたのを思い出しました。

あ、安価で手に入るビニール傘を発明した人、凄いですね。

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