見出し画像

【💙初代貴ノ花2♥】覚えてる方いるかなあ?(昭和の名大関)

えー、本日もお寒うございます。

1963年(昭和38年)生まれの私にとっての各界のスーパースターは、何といっでも、初代貴の花関です。初代ですよ、初代😊。    貴ノ花利彰さんです。

その後、何かと世間を騒がす事になる、若貴兄弟のお父さんです😀
タレントの藤田紀子さんの元ご主人。花田優一さんのおじいさんにあたります。

以前も書きましたが、何故好きだったのか?というと断然、格好良ったからです😀端正な顔立ち、昔の言葉を使うと、甘いマスク。相撲取らしくなく、あんこ型でないスマート体型。太れなかったのが、横綱への道にたどり着けなかったのが要因となりました。

小兵(身長184センチ、体重114 キロ)ながら、大関まで駆け上がり、当時の大関在位50場所の記録を作った人。         私は貴ノ花関の技では、吊りだしが好きでした。

小兵ながら、優勝は、2回してます。1975年(昭和50年)でした。初優勝が3月場所。2回目が同年9月場所でした。


1981年(昭和56年)引退後も順調でした。引退後の1982年(昭和57年)藤島部屋を立ち上げることになります。

そして、1993年(平成5年)に二子山部屋を引き継ぎました。

子供である貴乃花、若乃花の兄弟二人の横綱を育て、幕内には、 安芸ノ島、貴闘力、貴ノ浪、豊ノ海等の強い力士が育ちました。

本当に人生が順調に見えました。凄い貴ノ花と👏👏。もう一人好きだった横綱輪島さん(プロレスラー、タレント、アメフトの監督)が御苦労されていたので、余計華々しくみえました。貴ノ花さんと輪島さんは、土俵を下りれば、大変仲が良かったようです。

1994年(平成6年)に次男の貴乃花が横綱に昇進すると、二子山部屋は絶頂期を迎えます。若貴フィーバーの始まりです。1998年(平成10年)には長男の若乃花も横綱に昇進し、兄弟同時横綱の快挙が実現します。  今後も、兄弟二人の横綱は、出ないのでは、ないでしょうか。私達のヒーローは、親方になっても凄かったと。

しかし、この頃から雲行きが怪しくなります。
若乃花・貴乃花兄弟の不仲や貴乃花の「洗脳騒動」など、テレビのワイドショーが取り上げました。私もよくみておりました😂
2001年(平成13年)には、真相はわかりませんが、奥さんの藤田紀子さんの不倫騒動後、離婚。

そして、そんな中、口腔底癌を患い、2005年(平成17年)に亡くなりまりました。55歳。有り体な言葉で言えば、本当に若かった。

私達のヒーローは、現役時代は、相撲人気を支え、親方になってからは、二人の横綱をはじめ沢山の力士を育てた。晩年は、その反動のように、厳しい日常を送られた感じがして、ファンとしては、悔しい思いをしました。                    今でも、「1番好きなお相撲さんは?」と聞かれましたら、間違いなく「初代 貴ノ花」と答えます。ヒーローは、永遠です。

本日は、この辺でお開きとさせて頂きます (_ _)

日本相撲協会では1992年に監事(現在の副理事)、1996年には理事に昇格し巡業部長。2002年には審判部長、2004年2月から事業部長に就任。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?