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森さん失言問題から見る、株式会社と公益法人の違いについて〜組織ガバナンスの観点から〜

森喜朗会長が恒例とも言うべき失言により失脚する見通しです。森さんの失言は総理時代からも日常茶飯事でしたし、どちらかと言うと「またか。。」という印象の方が強いですが、とはいえ、このグローバル時代において、グローバルの象徴たるオリンピックの組織委員会長という立場から見るに、辞任は妥当であったと思います。後任情報がゴタゴタしているようですが、是非流れを変えるようなご活躍を祈念しております。

さて、今回は森発言の是非はさておき、こういう失言がなぜ起こるのか、組織のガバナンスについて考察したいと思います。

まず、このオリンピックの組織委員会は正式名称を「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」と言います(以下、東京五輪委員会)。いわゆる株式会社ではなく、公益法人の形を取っています。公益法人とは、例えば学校を運営する学校法人や病院経営をする医療法人等が当てはまります。

では、そもそも株式会社と公益法人の違いって何なんでしょうか?ちょっと遠い話をしているようですが、実は今回の森さん辞任劇にも通ずる話なのです。

株式会社のガバナンスについて

まず、多くの皆さんにとって馴染みの深い「株式会社」です。こちらは理解されている方も多いと思います。他方、分かっているけれど、日常生活でそれを意識する場面も少ないので、何となく理解しているだけの人も多いかもしれません。株式会社は資本主義の考え方に則った組織形態であり、その名の通り株式によって支配されます。株式=資本=お金です。例えば単独で過半数の株券を握っていれば、その会社を思うままに支配できます。社長が気に入らなければ株主総会を開いて辞めさせられます。また、単独で過半数がなくても、いくつかの連携しているグループで過半数を握れば同様です。

よって、社長になれば自由になれるように思う方も居ると思いますし、私自信、起業するまでそういう認識もありましたが、実際は決してそんなことはなく、要は上司は株主なのです。株主にそっぽを向かれたら社長の椅子はすぐ取り上げられます。実はその点でも、サラリーマンの方がよほど楽です。上司に嫌われても部署を変われば済むことも多いので。

公益法人のガバナンスについて

一方、公益法人のガバナンスはどうなっているのでしょうか?こちらは「ヒト」で支配されます。「評議員会」や「理事会」とで意思決定されていきます。株式会社でいうところの「株主総会」や「取締役会」にあたる部分です。前者と後者の最大の違いは、前者は「ヒトの数」で議決されるのに対し、後者は「株式の数」で議決されます。

もう少し具体的な話にしてみましょう。例えば、国会も公益法人と似たようなガバナンスになっています。ある法案の提案に対し、過半数以上の賛成を得ることで通過します(本当はもう少し細かいですが便宜上簡便に表現します)。これは「ヒトの数」で決まります。お金持ちだから票が多くなる、ということはありません。また得票数で割り振られる訳でもなく、一人一票です。ですので、1党で単独過半数を取れない場合、他の政党と連立して「連立与党」を組むことになります。

カネにせよヒトにせよ、過半数を取れば意思決定をコントロールできるというのは同じです。

公益法人のガバナンスにおける最大の課題とは?

では、次に公益法人のガバナンスの最大の問題点について書いていきます。

上述の通り、公益法人は「ヒト」によって支配されます。勿論、このことはメリットデメリット両面あります。例えば、株式会社は「カネ」で支配されますから、お金持ち(資産家)が会社を乗っ取ることもできます。それによって、その会社は潰れる可能性もあります。その商品やサービスを利用しているお客さんはお金持ち一人のせいで、享受する機会を逸するかもしれません。そういうリスクを株式会社は孕んでいます。賛否はさておき、村上ファンドの村上さんが好例ですよね。

では、公益法人のリスク、すなわちヒトによる支配のリスクとは何でしょうか?

これは一度支配体制が確立すると容易に改革できない点です。勿論、このことは経営の安定性をもたらすというメリットもあります。特に公益法人の場合、教育にせよ医療にせよ、スポーツにせよ、社会の公益に資する活動をしていますので、簡単に潰れたりされると困ります。よって、安定的かつ持続的な経営をする上で「ヒトの支配」は効率的です。

一方で、容易に改革できないので、腐敗を生みやすくなります。特に理事長のポストに一旦就くと、犯罪を犯して逮捕されたりしない限り、なかなかひきづり下ろせない仕組みになっているのです。昨今、公益法人の腐敗がニュースになることもありますが、まさにトップに立つ人はしっかりとした公益性を持ち、道徳意識を持たないとこういう仕組みに胡座をかくことも可能なのです。結果、大問題になって初めて明るみに出る、といったことが散見されるのです。森会長も制度的に言えばどんな失言をしようが自主的に辞任しない限り、会長職はそう簡単には辞めさせることができません。仮に反森派の理事が動議をかけても、過半数を集めないと蹴られてしまいます。そもそも、反森派を排除するような理事会メンバーを構成することも可能です(というか、殆どの公益法人は大なり小なりそうしています)。正義感に溢れた人が何とかこの法人を変えたいんだと声を上げても、9割以上乗っ取りは不可能です。理事会メンバーの過半数を仲間に入れるような政治的な根回しが必要で、こういうことをする人が果たして公益法人にふさわしいのか?という禅問答のような状況が生まれます。

上述の通り、国会もヒトによる支配体制です。ですが、国会議員の場合、そもそもの大前提としての「選挙」があります。与党であることに胡座をかいていると、政権交代の憂き目に遭います。常に国民の目による監視があります。ですので、国会議員は諸々批判を受けがちではありますが、常に緊張感のある立場なのです。

他方、公益法人はそこまで国民の関心も高くないですし、何より理事長はじめ理事会メンバーになる上で、公の審判を仰ぐようなことはありません。極端にいえば、社内政治に長けた人であれば上に上がっていけます。また、一旦理事長の席を確保すれば、理事会メンバーを「自分派」で固めることができます。それをさせないような法改正の動きもありますが、「過半数」さえ抑えれば良いので、それほど難しいことではありません。9人で理事会を設置するなら、自分以外に4人子飼いの人間を入れれば支配できます。残り4人は「公平性の担保」というもっともらしい理由で反対派を入れても良いのです。(もちろん、これはギリギリすぎる話なので、もう少し自分派を多く入れるのが通常です)

国レベルで言えば、ヒトによる支配は文字通り人治国家であり、中国や北朝鮮のような体制です。いずれも多くの国際問題を抱えていて、客観的に見ればなぜ国民は声を上げないのか?と思いたくなります。ですが、声を上げてもヒトで支配体制が確立しているので、簡単にはクーデターが起こせないのです。逆にミャンマーは民主化を目指す与党だったので、軍部のクーデターが可能でした。なんか皮肉な感じもしますが、トップの人間にとって、ヒトによる支配の方が安全であることが、他国を見ても分かると思います。北朝鮮などまさにわかりやすいですが、何か大きな問題があった時、金総書記はどうしますか?自ら詫び、辞職しますか?そうではなく、しかるべきトカゲの尻尾を見つけて、それをスケープゴートとして首を切りますよね。公益法人も似たようなことをします。トップが表立った謝ることはなく、下のものに責任を押し付けて逃げることすらできてしまうのです。上場企業なら考えられないですよね。そうしたくても、先に株主によって罷免されてしまいます。

よく学校法人では世襲制が取られていますが、それはこのガバナンスに起因します。世襲制が必ずしも悪とはいいませんが、株式会社、特に上場企業ではなかなか難しいでしょう。トヨタのように、しっかりと実績を出し、優秀さ、妥当性を示していかなければなりません。公益法人では、理事会メンバーを固めておけば、息子であるという理由のみで事業承継ができてしまうのです。

辞任を求める世論と辞任する必要がないガバナンスとの矛盾

ようやくですが、話を戻します。今回、東京五輪委員会の会長という役割を森さんは担っていました。失言後、会長辞任を求める声が多数起こり、ボランティアや聖火ランナーの辞退の声も相次ぎました。これらは確かに一つの主義主張を伝える手段として有効ですし、世論を形成する一助にはなるでしょう。ただ、森さんは最初の会見で辞任の意向はないと明言されました。状況を見ると「何で?」と思う方が自然ですが、このガバナンスを理解すると「そりゃそうだ」というのが普通の反応になります。なぜなら、ボランティアにも聖火ランナーにも、ましてや世論にも会長を引き摺り下ろす権限は無いからです。あるのは東京五輪委員会の理事会のみ。元々失言のデパートであった森さんを担いだ理事会ですから、過半数を持って退任させるのは至難の業です。過半数の反逆者を集めないといけません。これが公益法人のガバナンスと世間の間にある感覚の不一致です。ですので、元々失言体質の森さんですが、総理や国会議員をやるより、東京五輪委員会の会長はとてもやりやすかったと思われます。その油断が今回の失言にも繋がったのかもしれません。

辞任の直接の理由はグローバルに注目される組織だったから

但し、一転して最終的に辞任する方向となりました。このことは上記世論の声も大きかったでしょう。ガバナンス上は直接関係ありませんが、間接的に影響を与えることはできます。裁判の署名もそうですよね。それ自体は決定打にはなり得ませんが、何かしらの影響を与えられる可能性はあります。ただ、僕はこの方針変更は東京五輪委員会という極めてグローバルに注目されている組織だから、だと考えています。世界的に、今、差別問題は非常にセンシティブです。日本は実際のところ差別がない訳ではありませんが、比較的少ない、または軽い部類に入ります。欧米の歴史を見ても、差別問題は非常に根深く、今なお続いています。ですので、肌の色や性別に関する差別は海外では日本以上に敏感に反応します(この話は別でやります)。東京五輪委員会というグローバルに開かれた世界的イベントを司る組織の長が差別的発言をした。このことこそが一転辞任に追い込まれた理由だと考えています。日本国内の声というより、海外の声を意識した結果ということです。つまり、逆にいえば、海外からの注目度の薄い財団法人であれば、辞任しなかったと考えています。森さんはその辺りの認識が甘かったのではないかと思います。

まとめ〜公益法人のガバナンスについて〜

今回、森さん失言により、改めてガバナンスについて考えさせられました。上述の通り、カネかヒトかにより、いずれもメリットデメリットがあります。必ずしもどちらが良いとは言えませんが、公平性という観点から見ると、やはりカネによる支配、つまり株式会社の方が実は公平性が高いと言えるのです。公益法人という名前から、こちらの方が開かれていて公平性が高そうに思えますよね?実は上場企業の方がよほど社会から厳しい監視を受けていますし、常に緊張感に晒されています(私はどちらも経験があります)。公益法人はもちろん、やっている事業は公共性が高く、社会に必要不可欠でありますが、ことガバナンスに関しては驚くほど不透明であり、中国や北朝鮮のような支配が可能な組織なのです。そういう組織が公共性の高い事業をやって良いのかどうか。公益法人のガバナンスはこれで良いのか。もっと国民を巻き込んだ議論にすべきではないかな、と個人的には思っています。

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