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毒親だというひとを気の毒に思う

私はネグレクトをされていたが、毒親だと思ったことは一度もない。また、両親を毒親だと表現したことも一度もない。今後もそれは変わらないだろう。


大学生の頃に仲良くさせていただいていた一つ上の先輩が、よく実家に呼んでくれた。
彼女のご両親は職場恋愛、職場結婚で、立派な家を建て3人の子を設けて、先輩はその末っ子だった。
大学卒業後もその自宅から弁当をつくってもらい出勤していた先輩は、犬が欲しいと言って大人の人間サイズに育つ犬種を、自宅の庭の一角に6畳ほどのスペースの犬小屋を建てて飼い、結婚したらそのまま置いていくんだと笑顔で語る。

卒業と同時に買ってもらった車は、私がローンで買った10年ものの中古車の新型車だった。先輩は両親の悪口をよく言った。父親はパチンコと酒と不倫をする男だから口も聞きたくない。いても意味がないから早く死ねばいいのにと言って、買ってもらった車の冬タイヤへの交換もオイル交換も車検に持って行くのもその男にさせていた。

母親は良かれと思ってが口癖で余計なことばかりする。気持ちが悪いし病んでるから関わりたくないと言って、洗濯も掃除もその人にさせていた。夕食に呼ばれて伺った時にはテーブルいっぱいに出してくれたおかずに文句を言って下げさせた。

毒親という言葉が世にはやり出してから、先輩も、両親を毒親だと口にするようになった。大学に行かせてもらい、一人暮らしをさせてもらい、自宅に住まわせてもらい弁当を作ってもらい、犬を当たり前に置いていくつもりで飼い、車を買ってもらい整備をしてもらい、心を込めて作った料理に文句を言っても黙って下げてにこにこしてくれる人間が、先輩にとっては毒なのだ。

世間のいう毒とはそういうことなのだと感じた。
「うちの親は毒親なので、行きたい学校に反対されています。」「うちの親は毒親なので、自由にゲームをさせてもらえません」「うちの親は毒親なので、いちいち口出ししてきてうるさいです。」

してもらっていること・その裏にある思い・与えてもらっているもの・当然に有るもの。それらの有り難さに目を向けることができない人が、その人にとって思い通りに動かない人間のことを毒と称するのだろう。

だから私は両親を毒親と表現する人を、気の毒な人だと思っている。

私の親は毒親ではない。
毒親だと思ったことはない。
脳に欠陥があり、人の気持ちを理解できないまま、また少し先のことを想像することができないまま、人間社会を生きてきた気の毒な人だと思っている。

歯の健康は親の愛だと思うのです。
子供は磨けと言われて歯ブラシを用意されなければ自ら歯を磨きません。電気やガスが止まっていればもちろんお風呂にも入りません。あるものを食べて生きるそれだけです。

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