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満月の夜話(10) - 満月カレー -


今夜は満月ですよ、カレーにしませんか?


クツクツとカレーが煮込まれる鍋を見て、
私は何歳の自分を思い出していたでしょうか。
カレーという料理はそれほど大きくは変わらないものですが・・・・・・


まず私は、25歳の頃のカレーを思い出しました。嫁入り道具の1つとして持たされた花模様が描かれたホーロー製の小さな鍋で煮込まれたカレー。
慣れ親しんだ名字は、EXPO'70大阪万博があった年に主人の名字に変わりました。後から高度経済成長なんて強い言葉が当てられましたが、その頃はみんなが必死で、私だって初心者主婦として毎日必死でした。
肉体労働者だった主人は『おはようございます』が始まらない時間に家を出て、『こんばんわ』が始まった頃に帰宅したものでした。
それほど裕福ではありませんでした。いや、どの家庭も裕福では無かったと思います。贅沢は出来ないが、それを工夫するのが主婦の腕の見せどころ!なんて近所の奥様同士でモチベーションを高め合っていた気がします。今にして思えばその気持ちは裕福だった気がするのです。

「あれ美味しいのよ、ジャワカレー。アレだけで高級料理よ」
「ジャワカレー?」
新しく発売されたそのカレールウの評判を隣の奥様に聞き、私は早速作ってみたのでした。味見をしただけで、いつものカレーよりもずっと美味しくてビックリしました。しかし、主人の帰りを待つ間に、私は急に不安になった事を今もハッキリと覚えています。「今日はカレーとサラダだけ?」そう思われるのが嫌で私は冷蔵庫の中を大捜索。お肉は使ったし、お味噌汁を合わせるのも何かおかしな気がして。
冷蔵庫の内側に可愛らしく座った卵を見つけた時、私はコレだ!と思いました。お風呂から上がる主人の気配をあわせて目玉焼きを作り、カレーの上に上手に乗せて食卓に出しました。思えばそれが思い出の始まりでした。

主人は寡黙な人。夕餉の食卓に会話らしい会話は無く、新聞を読みながら、作業のようにお料理を食す人でした。そんな主人と珍しく交わした会話を、私は昨夜の事のように覚えています。
「今夜は満月か」
「え?」
「曇り空だから見えないけど、新聞に月齢が書かれているから」
月齢という聞き慣れない言葉、そしてボソボソと話す主人。そのせいか意味はよく理解出来ませんでしたが、それでも珍しく口を開いた主人を可愛らしくて、私は嬉しかったのです。
「満月カレーだな。目玉焼きの乗ったカレーか、美味かった」
人間の心なんて単純なものです。褒められたら嬉しくて続けたくなり、叱られたら悲しくて止めたくなります。今の若い人たちは難しく考え過ぎな気がします。


次は私が37歳の頃、うろこ状の打ち出し加工がされたアルミ製の大きな鍋でたっぷりと煮込まれたカレー。
その頃は、長女の奈津子が11歳、長男の将太は8歳でした。奈津子はお肉が苦手、将太は人参が苦手でした。これから子供にお金がかかる時期でもあったので、私と主人にとって不安が大きい日々でしたが、我が家が一番賑やかな時代でした。その賑やかさが不安を上手に隠してくれていました。
我が家にとって世界の中心は子供であったため、カレーは子供の好みに合わせたバーモントカレーの甘口に変わりました。奈津子と将太の好き嫌いを考えて、肉はミンチ、人参はみじん切りにした子供カレーでした。

「ねぇ、今日給食でカレーが出たんだけど、目玉焼き乗ってなかったよ」
「あぁ、普通のカレーには目玉焼きは乗っていないものだ」
変わらず寡黙な主人が、将太の言葉に反応した珍しい夜でした。
「え?でも、うちのカレーには目玉焼きが乗ってるよね?」
「目玉焼きが乗ってるのは、我が家の特別なカレーだからな」
その言葉を言い切らないうちに、主人は私を見て微笑みました。
私はその笑顔を今も忘れません。お見合いした時も結婚式の時も、新婚旅行の時すら笑顔らしい笑顔を浮かべなかった主人が、私を見て微笑んだ顔を。
男女が愛情を育むとは、相手との間の秘密を増やしていく事なのです。2人にしか分からない言葉や思い出を作る事こそ、2人を仲良くさせることなのです。この感覚は、今の若い人にもきっと分かってもらえるはずなんですが。


さて、次は私が59歳の頃、大きな鍋には似合わない2人分だけが煮込まれたカレーの姿を思い出します。
奈津子は25歳の時に嫁へ行き、将太は彼が29歳の時に結婚しました。
なんだかんだと話し合いをしましたが、結局新婚さんと同居する事はなく、私と主人は2人に戻りました。新婚時代に戻ったと言うほどの甘さは無く、とはいえ新婚時代のような辛さも無い。それを空虚と呼ぶ奥様もいるでしょうが、私にとっては大きな仕事を成し遂げた後の充足感に満ちた日々でした。
あの寡黙だった主人が孫の前で柔和な表情をするのを見て、こんなに幸せな気持ちになれるのは世界じゅうで私だけだったでしょう。これまで主人の仏頂面ばかりを見てきた私の特権だった気がします。

主人と私だけでしたから、カレールウはジャワカレーに戻しました。
時にはステーキ用の上等なお肉を使った本格的なビーフカレーを2人で楽しみました。
「目玉焼きが乗ってるな、今夜は満月か」
「今朝の新聞を見たので。今夜は満月ですよ」
「今月の満月カレーだな」
「そういえば来週、将太が久しぶりに帰って来るみたいですよ」
「馬鹿なヤツめ、タイミングが悪い」
「タイミング?」
「今日だったら、お母さんの満月カレーが食べれたのに」
子供がいくら大人になっても親にとっては子供は子供。なんて言いますが、子供から見れば親は親なのでオアイコです。変わらないはずの家族関係の中で、いつの間にか主人にとって私は『お母さん』、私にとって主人は『お父さん』。お互いの名前を呼ぶ照れ臭さの果てに行き着いた関係は、何と呼ぶのが相応しいのでしょうか。


そして私が73歳の頃、小さな行平鍋で小さく煮込まれたカレー。結果的に主人との最後の満月カレーになったカレーの姿を思い出します。
既に主人にとってカレーは重たかったでしょう。私にとってもそうでした。でも、2人ともそれを認めるのが嫌でした。主人は男の威厳、私にとっては25歳の頃に主人から貰った言葉だけを頼りに、いつもどおり満月の日はカレーを作りました。お肉は少なめ野菜は多め、残り物の油揚げを入れて。
具材や味は違えど、目玉焼きが乗ったそれは紛れもなくあの日と同じ満月カレーでしたよ。

「満月か、どれだけこの満月カレーを食べたんだろうな」
珍しく臭いセリフを言う主人に対して女性としての嬉しさはありましたが、彼の伴侶である私にとっては大層不安な言葉に聞こえました。
「どれくらいでしょうね。もう50年近くですよ」
「そうか50年か、来年あたり北海道へ旅行にでも行こうか」
「・・・行きましょう、絶対に行きましょうね」
無愛想で寡黙な主人とは思えない提案に、驚きよりも更に不安が増した私は、それを隠すように強く言葉を返しました。
長年夫婦をやっているから分かる事でしょうか?それは違うと思います。
付き合いの長さに関わらず、相手への敬意を忘れず心配りをしていれば、互いの気持ちや考え、体調が何となく分かるものなんですよ、隠し事もね。


そして86歳になった今、私はもう誰のためにもカレーを作らなくなりました。主人との北海道旅行は叶う事なく、今や家に一人ぼっち。犬や猫も飼わず、近所付き合いのあった奥様たちは旅立ちを見送った人ばかり。
先週、久しぶりに娘の家に遊びに行きました。孫は祖母としての役目が不要なほど立派な少女に成長していたので、居場所に少し困りました。

「ねぇ、おばあちゃん、お昼カレーだってさ」
「そう、おばあちゃんはカレーが好きだから嬉しいよ」
「お母さんがね、目玉焼きを乗せる?ってさ。おばあちゃん乗せる?」
「目玉焼きは要らないよ」
「え?でもおばあちゃんのカレーには目玉焼きが乗ってるんでしょ?」

そういえば、娘の奈津子にさえ教えていませんでした。いや、娘だからこそ打ち明けなかったのかもしれません、私と主人との秘密だから。
でもその時ふと、孫になら伝えても良いような気がしたのです。
「香織ちゃん、あのね」
「うん」
「おばあちゃんがカレーに目玉焼きを乗せるのは、実は満月の日だけなの」
「え!?そうなの?」
目玉焼きのように目を見開いた孫の顔が面白かった事、面白かった事。
50年来の秘密を打ち明けたわけですから、人生の中で一番痛快な瞬間だったかもしれません。
「いい?香織ちゃんにも好きな人が出来たら作ってあげなよ」
「カレーを?」
「違うよ、目玉焼きが乗った満月カレー」
照れくさそうに微笑んだ孫は、亡き主人に雰囲気が少し似ていました。


さて、なぜこのような思い出話をしたのか・・・それは今日の新聞を見たからでしょうね。今日の月齢は15.6、今夜は満月です。
今や、誰のためにも作らなくなった私の満月カレー。
逆に考えると、それは誰のためでもない私のためのワガママカレー。
今夜のカレーはカルダモン多めのガラムマサラにターメリック、1人分なんだし、少し良い牛肉と私の大好きな春菊も入れちゃいましょうか。
そして、綺麗に目玉焼きを焼きましょう。
外は雨でも、カレーの上は満月です。

さぁ来月は、そして再来月はどんなカレーを作りましょうか。



長いものをお読み頂きありがとうございました。
来月の満月は7月21日(日)みたいです。


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