大人の男のファッションの基本はテーラードスタイルだと思う

塩野七生女史にいわく、ナチス時代のドイツが生み出した傑作は建築や美術ではなく軍服であるという。さすがは軍国国家プロイセンの末裔というべきか、軍人の外見を整えることがその精神を調律することに繋がることを知っていたのだろう、とのこと。前にも書き散らしたことがあるかもしれないが、その意味ではファッションは個性が発露したものというよりも、個性を装うものと表現されるべきだと僕は思っている。

人間一人一人に個性があるように、服にも個性があるのだといえばよりわかりやすいか。それがより顕著に現れるのはいわゆる制服と言われる類いのものであるというわけだ。軍服は軍人としての個性、すなわち暴力的威容と軍隊としての統制を人に与える。現代ビジネスマンの戦闘服とでも形容されるべきスーツも、仕事に携わるものとしての緊張感であったり、自立した社会人としての個性を人に与えるものだといって差し支えない。

さて、前置きが長くなってしまった。今回の主題は、端正な男という個性を装うための基本型を考えようというものだ。特にカジュアルな場面におけるそれに主眼を置きたい。というのも、スーツを含め、いわゆる制服という類いのものはその人の仕事や立場を示すある種の公的な性格を持つもので、カジュアルスタイルには馴染まないからだ。

現代のカジュアルファッションは選択肢の幅が非常に多くなっている。しかし、この選択肢の幅は自由と表現するよりも無秩序であるというべきだと個人的には思っている。だからこそ、カジュアルスタイルには自分なりの秩序が必要になる。

では、端正な男という個性を表現するための秩序はどのようなものなのだろうかを考えてみたい。河毛俊作氏によれば、大人の服装は「きっちりした格好の時にリラックスして見え、カジュアルな格好の時にだらしなく見えない」ことが最も良いことだそうで。常にスウェットやダウン、夏ならTシャツ短パンという楽さに流された格好は大人の服装として誉められたものではない。(無論これらの格好がふさわしい状況も存在するので一概にはいえないが…)

プライベート、すなわち公的な空間から抜け出した寛いだ空間でこそ逆説的に凛とした緊張感が必要となると河毛氏はいう。僕も全面的にこの主張に賛同しよう。この凛とした緊張感というこそ端正な男としての個性を示すものだ。そして、この緊張感という個性を最も備えているのは服装は仕事着、制服であることは既に述べた。つまり、仕事着や制服の要素を含んだスタイルが端正な男を表現するための規律=基本型となりうるのである。

僕が思うに、この基本型に最も忠実であるのがいわゆるところのテーラードスタイルだ。すなわち、ジャケットと襟つきのシャツ、そしてスラックス。この三点を基本にして一つをカジュアルアイテムに変えるぐらいのバランスの取り方がいい塩梅ではなかろうか。最近はデニムスラックスも人気が出てきているようだから、テーラードスタイルにぜひとも取り入れていきたい。

カジュアルな場面だからこそ、自分を律するための規律を守ることがルールの重要性がわかる大人のスタイルだと僕は思う。ジャケットもシャツも仕事で着なれているだろうから、変に緊張することもない。何もスーツそのものをカジュアルに着ろ!といっているわけではないのだし。(ちなみに僕はスーツを着崩すのはあまり好きではない。Macにゴテゴテのステッカーを貼るのと同じセンスの悪さを感じるからだ。本当にいいセンスの持ち主でないなら、ジョブズのセンスを自分流にアレンジすべきではない。)自分の体型にあったアイテムを選びさえすれば、この基本型があなたを裏切ることはない。自由全盛な世界だからこそ、自分なりの規律が大事なのです。


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