見出し画像

分からないという恐怖への答

試験を受けた。その結果が怖くて発表日の日程すら見れなかった。
何で怖いのかというと
合格したい、落ちたくないから。
落ちたら費やした時間が無意味になる。
落ちたらまた勉強しなくちゃいけなくてもうしんどい。
そんなこと終わってから考えてもどうしようもないことと分かっているつもりだった。
それに落ちても死にはしない。
また受ければいい。
落ちたことも糧にしたらいい。
そう思いながらも怖さがあった。

私の怖さの原因は
落ちるのが嫌ってものある。けれどそれだけではなかった。
結果が「今、分からない」事への怖さだった。

分からないって苦しい。
分からないって不安。
分からないって怖い。

分かりたい。
でも分からないから何をしたらいいのか分からない。
何も動けなくて怖い。
どうしたらいいのか分からない。
どうしようもない。

分からない感情は恐怖。
その恐怖を心が避けようとしてグルグルと色んなことを考える。あーだこうだと。また、それがエネルギーを奪われて疲れる。

根本的な恐怖は残ってるので、心のどこかに引っ掛かりがある状態。どうしても分かりたい思いを持っている。答えがほしい。

試験の結果以外にも分からない事ってたくさんある。試験結果なんて時が来たら分かるもので分からない問題の中ではやさしい。
あの人が何を考えているかなんて分からないし
今後の自分の人生も分からないし
今、自分がぶち当たってる問題もどう解決していけばいいのか分からない。
世の中、分からないことだらけ。
やっぱり怖い。

分からない事に恐怖を感じているなら恐怖の中身を確認する。やっぱりその答えは「分からない事」なのだ。

だったら分からないをそのまま答えにした。
今の私にはもう分かりません。降参です。
分からない私を受け入れた。
恐怖を受け入れたら納得できる答が見えた。

分からないって
結果も方法もすべて無限にある
ってことなんじゃないか。

恐怖という感情は幻。
だったら自分が何に恐怖を感じているのか確かめてみるとその恐怖に自分のエネルギーを持っていかれるのをとめられる。

試験は合格していた。嬉しさと安心感があった。やっぱり恐怖を感じてた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?