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即時停戦が実現しないもどかしさの遠因

世界の20億人に通じる挨拶


「アッサラーム・アライクムは、アラビア語によるもっともポピュラーな挨拶の言葉である。「あなたがたの上に平安あれ」を意味するこの言葉、日本語の世界にはほとんど馴染みはないけれど、世界中の20億人近い人々との良好な関係の扉を開いてくれる。
たしかに、アラビア語を母語とする人口は、5億弱とされる。中国語、英語ヒンディー語、スペイン語に次ぐ規模である。しかし、この挨拶自体は、その4倍の人々に日常的に用いられている。それは、この「アッサラームアレイクム」がアラビア語による挨拶であると同時に、イスラーム教徒の挨拶でもあることによる。チグリス川流域からアラビア半島、シリアやエジプトといったアラブ圏をへて北アフリカと広がるアラビア語圏はもちろん、中央アジア、南アジア、東南アジアのイスラーム教徒たちともこの挨拶から始められる。ヨーロッパや南北アメリカに移住して各地にムスリムのコミュニティを作るイスラーム教徒たちともこの挨拶から始められるし、アラビア語の聖書を読む様々な宗派のキリスト教徒たちに対しても同様にこの挨拶で大丈夫である。

グローバル化から取り残される

これに相当する日本語に表現、「今日は」はどうであろうか。通じる人口は、1億2千万がせいぜいであろう。(「さよなら」のほうが外国での知名度は高いような気がするが)。「アッサラーム・アライクム」と使われる状況がかなりの程度で重なる言葉に「失礼します」「失礼しました」があるが、これらに至ってはこのごろの日本では、とても1億2千万の使用人口があるとは思えない。
アラブ世界で日本語は、マハッリーな言語だといういわれ方をよくする。マハッリーとはマハッル(場所)の形容詞形、つまり日本語は、局地的、地域的な言語ということである。局地的、地域的な言語を使うわれわれだからこそ、隣りの世界、あるいはより広い世界、ひいては世界全体につながるようなメディアを必要とする。マハッリーの反対語は、アーラミーと言う。アーラ―ミーとはアーラム(世界)の形容詞形である。グローバル化によって、ヒト、モノ、情報が国境とは関係なく移動すると言われて久しいが、当初は、正の側面のみが強調されていたが、そこには、犯罪やテロリズム、武器、戦闘員、麻薬や違法な臓器、感染症や環境破壊といった負の側面がまでもがアーラム化(つまりグローバル化。アラビア語では、「アウラマ」という)していく現状である。そんな中で、地域性が保持されているのが言語であり、したがってその象徴的な言表である「挨拶」だということになる。

「アッサラーム・アライクム」のアーラミー性


「アッサラーム・アライクム」をグーグル翻訳にかければ、「こんにちは」と出てくる。しかし、すでに別稿にて指摘したように、「アッサラーム・アライクム」の言語的な意味をたどっていくと、それが、まさにアーラミーに平和を祈る挨拶になっていることが分かる。世界を、宇宙を、すべての事ども創造し続ける創造主たる神に誓って、目の前の対立や紛争を事前に回避し、それと同時に、世界大で平安を祈る挨拶にもなっているのだ。つまり、マハッリーではなく、アーラミーな挨拶だということができる。
イスラーム教徒にとってのこのアーラミー性は、万有の主アッラーの存在に負うている。ところが、彼らにとっては、ある意味自明のこと過ぎて、このアーラミー性がどうしても見失われてしまうのである。せっかくのアーラミー性を自ら損ねている状況だ。

即時停戦への祈り


ヘブライ語の「シャローム」もグーグル翻訳によれば、「こんにちは」と同様なマハッリーな、つまり地域的な挨拶である。世界中の諸事象が、圧倒的なグローバル化を指向するさなかであるにもかかわらず、諸民族、諸国民の挨拶がマハッリーのままに置かれていたのでは、挨拶ができていればこその信頼の醸成など期待できる道理がない。
イスラエルは、ハマスをせん滅するまでガザの徹底的な破壊をやめる気はないようだ。民間人の犠牲者がいくら積みあがろうが、そんな事眼中にない。
11月1たちのガザ地区の保険当局の発表によれば、先月7日以降の同地区の犠牲者が急増して9000人に迫り、双方合わせると犠牲者は、1万人を超えたと伝えられている。
聖典クルアーンは「罪のない一人の命を奪うことは、全人類の命を奪うことに等しい」という、ユダヤ教徒にとっての神でもある世界の創造者のことばを伝えるが、彼らの正義の前にこの至上命題は吹き消されている。だからこそ、「アッサラーム・アライクム」の挨拶の持つアーラミー性、グローバル性、世界性がもっとフォーカスされていいはずだ。
イスラームフォビアが広がる中、こうした主張もまた、かき消されてしまうのかもしれないが、グローバルに目配りのきいた挨拶から世界中の人々との関係を構築しなおしたい。即時停戦を引き続き祈り続ける。「アッサラーム・アライクム」

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