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パレードと鐘

 世界の端には高いたかい崖があって、其処からどうどうと水が流れ落ちている。それは海とは違う、もっと重い水で僕等はそれに呑まれたら小指すら出すことは出来ない。
 トランペット。僕はこの小汚い金色をした楽器が一等気に入っている。いつだって陽気な音が出るし、パレードでは先頭に立てるからね。
 僕の持ち物と言ったら、その古いラッパと牛を呼ぶ鈴くらいのもので、何故そんな妙なものしか持ち合わせていないのか自分でも説明出来ない。
 この街に牛はいない。
 その代わりに沢山の野良犬が住んでいる。毛並みはボサボサできっとノミでも隠れているだろう。
 犬たちは何故か僕のトランペットのファシャープの音が好きなようで、朝でも夜でもその音を出した途端にそこら中で吠え始める。そうすると僕が街の住人に怒鳴られるハメになるので、なかなか困りものだ。
 僕は誰でもない。
 誰でもないということは、何処にも居ないということと同じようで少し違う。僕は世界の果ての話を教えてあげられるし、トランペットを吹ける。もし近くに居さえすれば、牛を呼ぶことだって出来る。
 シルクハットから鳩が出る前、鳩は何処にも居なかった筈だ。僕はその鳩だ。
 例えば、ね。
 さて今日の昼食は半分黄色くなった林檎で、僕はそれを露店街で食べる事にした。
 毎日大通りに百位出ている店々はこの街の名物で、其処で探して売っていない物はおそらく世界の何処にも無いだろう。店主は皆ちょっと性格に難があるが、僕は彼等とは馴染みなのだった。
 石畳みのアパートメント通りを抜け、昨日の雨で濡れた近道をいつの間にか犬を一匹引き連れて歩いてゆくと、大通りに出る。
 一番初めにあるのは花火屋だ。
「いや、その林檎は食べない方がいいね。」
高い帽子を被った店主が会話の続きのように言った。
「やあ。でもこれきりしか無いんだよ。」
「なるほど、今日はヘビ花火を見せてやるよ。」
 店主は二メートル位ありそうな鈍色の紐にマッチで火を付けて投げた。僕は四歩下がった。
 花火は左右にくねくね揺れながら青と緑の火花を散らした。なるほど、ヘビに似ているような気もするな。
「これは良いね。でもまた売れそうも無いけれど。」
「俺はヘビ使いになりたかったんだ、放っておいてくれ。」
 満足げな店主に手を挙げ、僕は林檎を齧ってまた歩き始めた。林檎は腐りかけでとても甘かった。
 僕は余りにも長い露店街を犬を連れてゆっくり歩いた。何処も知った店で、此処は居心地が良い。
 低い音で鐘が鳴った。
 犬がそのあと大声で吠え始めた。
 街の鐘が鳴るのは、とても良い事かとてもとても悪い事の知らせだ。
 脇に抱えていたトランペットを掲げ、僕は出鱈目なメロディを吹く。
 僕は誰でもない。
 この街も何処にもない。
 けれど音楽は奏でられ続け、僕等は世界の端から落っこちてしまう事無く、何処までもパレードを続けられる。
 着いておいで。
 征こう。
 鐘がもう一度、鳴り渡った。

おたすけくださひな。