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【絵本レビュー】 『くろくんとなぞのおばけ』

作者/絵:なかやみわ
出版社:童心社
発行日:2009年7月

『くろくんとなぞのおばけ』のあらすじ:

おばけのしわざでしょうか?つぎつぎとほかのくれよんたちが連れ去られ、とうとうくろくんだけになってしまいました。「ぼく、絶対みんなをさがしだしてみせるぞ! 」くろくんが、あやしい足あとをたどっていくと…。

『くろくんとなぞのおばけ』を読んだ感想:

予想外のエンディングに一人ほろりとしてしまいました。これから初めて読むというかた、お気をつけください。

私の書道の先生は奥さんを50代で亡くし、長い間一人で暮らしていました。最初住んでいた義理のお姉さんの家を出てからは、お風呂のない小さなアパートで一人暮らしでした。

日本を離れても、私は先生と郵便でやりとりし、毎月課題を提出していました。そして日本に帰るたびに先生に電話して、滞在中少なくとも一度は先生を訪ねていました。そんなある年のことです。私はいつものように先生のアパートで大河ドラマの再放送を見ながら、お茶を飲んでいました。その間先生は毎日送られてくる食事宅配サービスのご飯を食べ、いつものように他愛のない話をしていました。

一時間半ほどいたでしょうか。私が「それではそろそろ行きます」と腰をあげると、先生は「そうですか。残念だなあ」と言いました。言い方は軽い感じでしたが、その言葉が私の心に引っかかりました。そして普段は玄関先でお別れなのに、なぜかその日は階段下まで付き添ってくれたのです。私は何かいつもと違う感じを受けたのですが、まあ一年ぶりだったからとあまり深くは考えていませんでした。すると先生は両手で私の手を包み、「これが最後かもしれんなあ」と言うのです。私は言葉に詰まりました。当時の先生は八十二、三歳だったと思います。私はなんとか「また来ますよ」とだけ言うと、歩き始めました。

後ろを振り返ると、先生はまだ私を見ています。両手を後ろに組んで遠ざかる私がちゃんと見えるように、先生の身体は少し傾いていました。曲がり角まで来た時もう一度振り返ると、先生の身体は乗り出すようにさらに傾いていました。私はたまらなくなって、気をつけをして頭を下げました。遠くで先生も頭を下げました。私は今すぐ駆けて戻って行きたい衝動にかられましたが、なんとか抑えてバス停に向かって歩き出し、代わりに少し泣きました。

その後私は当時住んでいたスペインに戻り、今まで通り先生と郵便で書のやり取りをしました。私の瞼の裏にはあの時の先生の姿が焼きついていました。でも先生はいつも通りで、毎回簡単な手紙を添えてお手本を送ってくれました。そんなある日、私が受け取った封筒はいつもより膨らんでいました。「何が入っているんだろう」と思いながら開けると、中には半紙に書かれた手紙が三枚入っていたのです。そこには先生が大腸ガンで入院、手術したことが、力のない筆使いを詫びる言葉とともに書かれていました。私はそのことを母に伝え、先生か家族に連絡を取るように頼み、次の帰国時には絶対先生に会いに行こうと考えていました。

数週間後母と話をした時、先生は海に近い養老院に移ったと言うことを聞きました。私の実家からは三県先の市です。それでも私は先生を訪ねたくて、その後すぐに帰国の予定を立てました。

最寄りの駅まで二時間半くらい、そこからさらにバスに二十分くらい乗って着いた場所は、綺麗だけれど無機質な建物でした。受付で先生の名前を言うと二階の食堂に案内されて、そこで待つように言われました。「先生、友達できたかな」そんなことを考えながら静まり返ったその場所で待っていると、
「いやあ、遠いところをすみませんねえ」
馴染みの声がしました。振り返ると、そこに立っているのは見知らぬ老人。私は一瞬ためらいました。ハンチング帽が異様に大きく見えるくらいに小さな顔と細い身体。掛けているメガネも場違いに大きく見えて、鼻の下までずり下がっていました。突き出た大きな耳でかろうじて帽子を支えている、そんな風に見えました。
「暑かったでしょう」
とその老人はさらに話しかけてきます。私は大きなメガネの中を覗き込むように見ました。先生でした。背の高い人ではなかったけれど、がっしりした体格をしていました。大きな丸い鼻をして丈夫そうな四角い顎をして「僕の心は青年ですよ」とガハガハ笑うような人でした。それが今では着ている服の中で身体が泳ぐほど小さくなってしまいました。私は目のやり場に困り、なんとかして先生の目に焦点を置こうと集中しました。

部屋に案内されると、先生はテレビの前の椅子に座り、私はベッドに腰をかけました。今まで知っている先生の部屋は、いつも墨の匂いがして、大抵何枚か条幅に書かれた書がカーテンレイルから吊り下げられていました。でもこの部屋には何もなく、ベッドとテレビの乗った机、小さな押し入れがあるだけでした。先生が書をしている様子すらなかったのが、寂しい気がしました。

先生は大きな菓子箱を私の前に置きました。
「来た人が色々くれるんだがね、もう食べれんのですよ」
先生は胃がんの手術で胃が半分ないのだと教えてくれました。そうして先生はいつものようにお茶を入れてくれました。テレビではいつものように大河ドラマが流れていました。中国にいる日本軍の話で、時々中国語が聞こえて来ました。先生は椅子に座ると私を見て、
「おお、ちゃんと北京語を話していますよ」と言いました。
先生は学生の時中国語の通訳として大陸に連れて行かれたのです。その後も中国政府から残って欲しいと頼まれたけれど、「家に帰る〜」と最後の船に乗って帰って来た、と言う話は覚えていました。

その後も先生はポツポツと話をしてくれました。「外は暑いんでしょうね」と聞いてから、そこへ入居してから一度も外へ出ていないと言いました。外へ出てもすることがないから、と寂しそうに言っていました。今この時のことを思い出しながら、私はなんで先生を連れて散歩に行かなかったんだろうと悔やまれます。友達と一緒に飲むのが大好きだった先生は、あのモデルハウスみたいに整いすぎた場所に入って以来一度も太陽の光を浴びずに亡くなったのかと思うと、とても悲しくなります。

「立つと疲れるから下まで行きませんよ」と言う先生と部屋でお別れをしました。入り口でお辞儀をすると先生は軽く手を上げてテレビに顔を向けてしまいました。

それから一年もしないうちに、母のところに先生の息子さんからハガキが来ました。そこには先生が亡くなったこと、葬儀は家族だけで済ましたこと、後日報告になって申し訳ないと思っていることが書かれてありました。先生は、しばらく会っていなかった奥さんに会えて喜んでいるでしょうか。

『くろくんとなぞのおばけ』の作者紹介:

なかやみわ
埼玉県生まれ。女子美術短期大学造形科グラフィックデザイン教室卒業。企業のデザイナーを経て、絵本作家になる。 主な絵本に「そらまめくん」シリーズ(福音館書店・小学館)、「ばすくん」シリーズ(小学館)、「くれよんのくろくん」シリーズ(童心社)、「どんぐりむら」シリーズ(学研)、「こぐまのくうぴい」シリーズ(ミキハウス)など多数ある。愛くるしく魅力的な登場人物を描いた絵本作品は、子どもたちの絶大な支持を受けている。


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