プログラムの特長|子どもたちの見守り方、場作りの仕方を徹底解説
定例会「パラダイスデー」や、石垣島7日間生活、夏休み&雪国古民家生活、シャワートレッキング&キャンプなど、私たちは小学校高学年〜中学生(10代前半)向けのプログラムを提供しています。
大人たちはどのように見守り、またどのような価値観で場作りをしているのでしょうか。詳しく解説します。
何をやろうとしているか
10代前半には「興味を持つ力」こそ欠かせない
小学校高学年〜中学生(10代前半)に向けてプログラムを提供している私たちは、社会に出ていく将来が目前に迫っている子どもたちにとって欠かせないのは、自分で興味を持ち、世界を広げる力だと考えています。
なぜなら、何かに興味をもち、夢中になるということは「その対象をものすごい速さで吸収し、学び、成長していく」ということに他ならないから。
様々なものを「おもしろい」と思えるなら、受験や学力だって、学問だって、スポーツだって、仕事だって、どんどん伸び、後から自然とついてくるわけです。
(つまり、勉強を否定するのではなく、むしろ学力を伸ばしたいなら、勉強と同時に興味を持つ力も伸ばさなければ意味がない、との立場です。しかし、テストの点の取り方を教えてくれるサービス「学習塾」は無数にありますが、興味を持つ力を伸ばしてくれるサービスには、世の中に選択肢が少ないのが現実です)
自立・主体的に活動できる環境をとことん突き詰める!
そこで、子どもたちが興味・関心や好奇心に従って自立・主体的に活動できる環境をとことん突き詰め、楽しんでいるうちに自然に “自立のための基礎体力・基礎能力” を身につけられる場を作るために、全力を注いでいます。
子どもたちが本来持っている「自ら成長する力」を邪魔することなく、最大限に発揮できるよう、子どもたちの自立・主体的な行動をサポートする――その根幹となるのが、定例会「パラダイスデー」という場です。
自由と責任のバランス:社会に出る実践練習の場を
自立・主体的に活動できるということは、子どもたちが大きな自由を手にするということでもあります。
しかし、自由な環境を成り立たせるには、自分が責任を負い、必要最低限のルールを守る必要もあります。
自由だからと言って好き勝手にやっていれば、逆に自由を失っていく……これは実社会でも同じです。
また、意見の衝突があったときは、対話を通じて「価値観の違う他人と共存するにはどうしたらいいか」を考えることも求められます。
学校であれば先生が介入し、善い・悪いを裁定し、場をおさめてしまいますが、社会に出てからは自分の頭で考え、その場の状況や、相手の性質に応じて、柔軟に対応するスキルが必要になってくるからです。
大人が子どもたちを見守るときに大切にしていること
1. ひとりの人間として尊重する
私たちは、大人であろうと子どもであろうと、みんな平等であるはずです。
言葉にすると当たり前のようでいて、世の中の様々な場所、年齢、置かれている状況によって、なかなかに考えさせられる命題となっています。
10代前半の子どもたちを考えるときには、「自由」と「自己決定」を何よりも大切にしています。自主的、主体的、自発的という言葉たちに置き換えてもいいかもしれません。
具体的には、半人前だから……と大人が管理してきちんとやらせようとするのは一切やめ、子どもたちを一人前のひとりの人間として尊重し、やってほしいことがあれば、ゴールだけを提示して委ねます。
もちろん、自由には責任も伴います。自分で選択したわけですから、その結果うまくいかなくても他人や大人のせいにはできません。自分で考えて動く必要もあります。
2. 子どもの成長の邪魔をしない
人が飛躍するのは、大まかに、
本当に困っているとき
必要に迫られているとき
夢中になっているとき
の3つです。
失敗が明らかなとき、大人は「良かれ」と教えようとしてしまいますが、当の子どもが聞く態勢になっていないなら、押し付けであり、場合によっては邪魔をしている結果になっているケースすらあります。
学びを最大化できるのは、自分で決めてやってみて、失敗したり、うまくいかなかったまさにそのとき。偽りようのない実感があるため、1から10を学ぶ勢いで飛躍します。
ですから大人たちは、子どもたちの「自ら成長する力」を邪魔しないのと同時に、そのタイミングを逃さないようにアプローチすることも心がけています。
そして言うまでもなく、子どもが夢中になっている時間を大切にし、夢中になれるような仕掛けを常に考えています。
3. 誰もが自分らしくいられることこそ大切
私たちが大切にしているのは、誰もが自分らしくいられる場であること、そして「何をするか」「何をしないか」を、自分で決める自由が保証されているということです。
たとえば、「みんなと一緒に遊ばなければ仲間はずれ」という概念は存在しません。
人ならば誰しも、自分なりの居心地のよい空間があり、興味・関心も様々であたりまえ。来るなり好奇心全開で遊び回る子も、まずは自分の時間を持ちたいとばかりにスマホや昼寝から入る子も、どんな関わり方も尊重されます。
4. 自分の自由と、他人の自由。答のない問いに向き合う
生きていく上で、自分が居心地良く自由でいられることは、とても大切です。そして、同じくらい、自分ではない誰かの自由も大切です。
けれども、価値観・考え方が違い、意見が異なったり、利害が衝突したりすることが必ずあります。「いったいどうやって共存すればいいのか?」は答のない究極の問い。
私たちのプログラムでは、喧嘩や意見の衝突を禁止していません。ですので、原則として大人は介入せず、致命的な事故に繋がらないようにだけ注意を払いながら、見守ります。
誰が見ても明らかに一方に原因がある場合でも、大人が善悪の裁定を下し、謝らせようとしたり、指導したりすることはしません。収拾がつかなくなっている場合は、クールダウンのために介入することはありますが、その後どうするかはすべて子どもたち自身に委ねられます。
誰かの考えや思いを聞くこと。自分の考えや思いを伝えること。
さらに言えば、自分の思いに目を向け、言葉にして伝えるということ。
対話を通じて自分なりの答を模索できる、ということこそ大切だと考えています。
想像を超える自由度の高さ
プログラムのほとんどは予定が白紙
もっともわかりやすいのは、石垣島7日間生活でしょう。7日間という長丁場でありながら、移動日を除くすべての予定が白紙で、非日常の南の島で、自分たちで予定を決め、興味・関心、好奇心を深めていきます。
このような方法論から、「自由」と「自己決定」こそが、最速の成長に欠かせないと考えているためです。
そしてこのやり方を採用することで、「未知」と「イレギュラー」というスパイスがピリリときいてきます。
大人が良かれとあれこれ経験させようとするのではなく、自分で選択して経験することで、思っていた以上に感動したり、驚いたり、千載一遇を引き当てたりと、より心に深く刻まれる出来事になるんです。
自由な発想◎
実は子どもというのは、凝ったオモチャをもらうよりも、好きなように遊んでいいよ、と言われるほうが、夢中になって遊びます。
遊び方の決まった玩具や遊具の場合、子どもは一通り遊んで遊び方がわかってしまうと、割とあっさり飽きてしまいますが、遊び方を自分で作り出すことができるシチュエーションでは、飽きることを知らないからです。
私たちのプログラムも、根本にあるものは同じです。
たとえば定例会パラダイスデーでは、子どもの人数 × 1,000円を出し合って、炊事をしますが、別に食費にだけ使わなくてもかまいません。節約して余ったお金で、花火やおもちゃを買っても、お菓子やジュースを買ってもいい。
あるいは、自由にしていいんだからと、ハロウィンパーティーがしたいと提案した子は、クイズやお菓子を用意し、多数の子たちと盛り上がりました。
物理的に実現できるか、あるいは安全上可能か、というポイントさえクリアすれば、大人が「予定にないからダメ」と言うことはありません。
一般的には「そんなのアリなの!?」ということすら許容されてしまう自由度の高さが、特長の一つになっています。
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