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文豪の代表作は日記だった!?

谷崎潤一郎「細雪」

 「こいさん、頼むわ。ーー」鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、(中略)「雪子ちゃん下で何してる」と、幸子はきいた。「悦ちゃんのピアノ見たげてるらしい」ーーなるほど、階下で練習曲の音がしている。

 文豪・谷崎潤一郎(1886〜1965年)の代表作「細雪」の幕開け。こいさん、は関西弁で末娘をさす。四姉妹の末妹、妙子に声をかけたのは次女の幸子。二階の部屋に置かれた鏡台の前で姉が妹に白粉を引いてもらう。BGMはピアノの音。優雅な空気をまとった暮らしぶりが浮かびあがる。読み手を一気に作品世界に引っ張り込む名場面だ。
 姉妹が会話を交わしたこの部屋が、神戸市東灘区に残っている。阪神電車の魚崎駅から、六甲ライナーの高架下を住吉川沿いに山手へ歩く。現代的な住宅やマンションの並ぶ住宅地に、タイムスリップでもしてきたかのような古民家が見えてくる。
 谷崎が昭和11年から18年まで住んだ「倚松庵(いしょうあん)」だ。阪神大水害も太平洋戦争も阪神・淡路大震災もくぐり抜けて、往時の姿を今に留める。冒頭部の部屋は、二階の八畳間。欄干のある窓が東と南にめぐらされて、明るく居心地の良い空間だ。陽だまりに座ると、そのままごろんと寝転びたくなる。
 「細雪」は小説なのだが、幸子のモデルは谷崎の三番目の妻である松子。谷崎は妻とその姉妹と過ごした日常を、船場商人「蒔岡家」の別宅で起きた出来事という体で活写した。「細雪」については、松子自身がのちに「日記のようで、小説という気がしない」と話していたという。

 いったいこの家は大部分が日本間で、洋間と云うのは、食堂と応接間と二た間つづきになった部屋があるだけであったが、家族は自分達が団欒をするのにも、来客に接するのにも洋間を使い、一日の大部分をそこで過すようにしていた。

 そう記された、間取りもそのままの倚松庵は、週末限定で一般公開中だが、谷崎文学の研究家で武庫川女子大名誉教授のたつみ都志さんが、月一回程度、観覧者にレクチャーしている。小欄もそれに合わせて訪問。洋間での山村舞の一幕、風呂場からラジオを聴くシーン…実際の空間を目にしながら、作家が場面をどう描いたのかを聞ける。名作の舞台裏をたっぷりと堪能できた。
 谷崎は引っ越し魔で、生涯で40回以上転居した。それは、取り組む作品のイメージづくりのためだったという。たつみさんによると「作品の数だけ家があるという感じ」。谷崎の見た風景を追体験して、ここが「細雪の家」と呼ばれる理由にすっかり納得。

                          2020/01/10 夕刊フジ

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