見出し画像

証し:スタバの新作フラペチーノ さん(23歳・男性・学生さん)

このような機会を設けていただき感謝いたします。私は中学3年生の時、教会の祈り会(礼拝とは別で集まって悩みを分かち合ったり、賛美したり、祈ったりします)で、「神様、もし本当にあなたがいるならここで示してください」と心の中で声に出さず祈ったときがありました。すると、全く声に出していないのにも関わらず、牧師が私に向かって「今〇〇(名前)に神様はこう語ってるよ。」と言ってある聖書の箇所を見せてくれました。『見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。』(黙示録3:20新改訳2017版参照)。そして「〇〇(名前)が心をバリアみたいに覆っているから、それを取り除いてみたら良いんだよ」と教えてくれました。それから数年して、自分が気になっていた科学と聖書が矛盾していないことや、イエスの預言(予言)がどれほど的中したのか、それがいかに天文学的なレベルで奇跡なのかといった聖書の外堀りを自分なりに調べて納得したり、自分にしかない(自分にとって神を知る)神様の体験をしたり、聖書の言葉が心に刺さる経験を通して、聖書は神の言葉だと信じるようになりました。 ある本で「材料があって、いくら時間が経っても、例え材料同士がぶつかったりしても車(冷蔵庫、炊飯器、なんでも良い)が完成する訳ではなく、必ず設計者がいるように、もっと複雑なこの星や宇宙にも設計者がいると考えた方が自然ではないだろうか」という内容がしっくり来ていて、人は神のかたちに似せて造られている(創世記1:27)し、神を認めるとき自分の存在意義も、愛である神がバックにいてくれる安心感も、納得もできています。聖書を通して自分の無知さ・愚かさ・高慢さ(罪)を知り、それをゆるして(そこにはキリストの十字架と復活が欠かせません)くれる自分にはもったいない大きすぎる愛を知りました。神様に感謝します。教会も(人は完璧ではないです。つまづくこともあるとイエスも言っていますが)神を知る場所、神を知る人に会える場所なのでぜひ行ってみてほしいなと思っています。聞いて下さったみなさまと共にいてくださる神様に栄光がありますように。  

ASMRキリスト教会では、クリスチャン・牧師の方々の「証し」を募集しています!

応募はこちらから! https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSc58UuFOkC0dl4LgLnJFySKKWEAq20Fgpjtq65s19k6VuRZdw/viewform


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?