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ねんどハムスターのその後《後日譚》

先日実家に用事があったので、ついでにこの力作を自らの両親に見せつけようとハムスターを持っていった。

このように作られた力作です。


お持ち帰り用にタオルに包まれるハム様


私の想像では、家族間でも社交辞令のような意味合いもこめて、すごいじゃん、とか上手じゃん、というような言葉を想像していた。
実際は、「本物みたい」という言葉のあと、微笑みながら少ししみじみと

「帰ってきたぁ・・・」

と言った。



私は中学生の頃、ハムスターを飼っていた。
母の知り合いが飼っていたハムスターにたくさん子どもが産まれたので、そのうちの一匹をもらった。
中学生になるかならないか、私が小学校6年生の2月か3月くらいからそのハムスターを飼っていた。死んでしまったのは中学3年生の6月ごろだったと思う(とにかく受験生だった)ので、2年半近くは生きたことになる。
ハムスターの寿命は2〜3年で、2年半生きれば相当な長生きと言われている。うちのハムスターも大往生である。猫でいえば猫又と化していてもおかしくない年齢であるかもしれない。

最後はあまり目も見えていない様子で、痩せて体力もほとんどなさそうだったが、最盛期の頃の性格のようなものは最後まで変わらなかった。
歳をとって体力がないということに気づいていない行動が多いというか、若い頃によじ登れていたところによじ登ろうとする。そしてズルズルと落下する。
「おかしいな?」とでも言いたげな仕草で同じことをする。そしてまたズルズル落下する。そんなことを毎日性懲りもなく繰り返す。

とにかくちょっと人間っぽくて、バイタリティのものすごい変わり者のハムスターだった。


ハムスターの名前は「プー作」と言った。プーサク。
その時たまたまテレビにくまのプーさんが出ていたことと、矢沢あいの漫画、「ご近所物語」でピイちゃんが作成した自信作のぬいぐるみが「プー作」だったからである。丸パクリです。

プー作という名前でありながら、たいてい「プー」と呼ばれていたし、母に至っては「プーたろう」と呼んでいた。プータローみたいだからやめてくれ。ハムスターに職も何もないだろうけど。
最盛期は自分の名前を覚えているのか、「プー」と呼ぶと寝床の小屋から走り出てきた。そしてゲージをガリガリ噛んでおやつをねだった。

飼いはじめの頃、私もオドオドしていて、うまく触ったりできなかった。まだ小さかったプー作も目に見えて警戒していた。
指先でおそるおそる撫でたりしているうちに、プー作の方から、あちらもおずおずと手のひらに乗ってきてくれた。友達になった瞬間。子どもと動物というのは、やはり何か通じるものがあるのかも知れない。
(そっと小屋に戻すとプー作はその後ものすごい体中をガリガリ掻いて清めていた。笑)


脱走は3回。
そのうち1回はほほ袋にしっかりとひまわりの種を仕込んで脱走していた。計画的。なんてやつだ。
その時は、ソファーの下に潜り込んでいたのをひまわりの種の殻と共に発見し、御用となった。

ピーナツバターをなめたがった。
たまたま人の服の袖に付着していたものを抱き上げられた時にめざとく見つけ、ぺろぺろと舐めて、大興奮の末しまいには袖をギーギー引きちぎろうとした。

テーブルの上に出してみると、落ちていたアクエリアスのこぼれた水滴を舐めはじめた。

夏、部屋の中が暑い日はぐでーっと伸びきっていて、ムササビのようになっていた。エアコンをつけて部屋の温度が下がるとたちまち元気になってゲージの中を走り出す。わかりやすい。

通常のハムスターのように回し車を回したがらない。
あの子が回し車を回しているのを見たことがない。回させようと無理やり回し車の中に立たせるが、必ず出てきてしまう。

そして極め付けは、彼の人生(ハム生)の後半は、もはや夜行性でなくなっていた。人間と共に朝起きて、夜寝ていた。
「ハムスターとは?」
と思ったことは数知れず。
キミ、もしかして、前世人間だったな?

とにかく、なんともハムスターらしくないハムスターで、可愛くて仕方ない子だった。

ハムスターはもともと孤独に生きるタイプの生き物であるらしく、野生と同じように一匹でのびのびと、しかもストレスや飢えがなく生活できていたのが長生きの秘訣だったのかも知れない。

そんなプー作が死んでしまった時は、我が家は悲しみに包まれた。
会話やテレビの音などは変わらずにあるのに、あの小さな一匹がいないだけで、家の中がとても静かになったのをよく覚えている。カサカサ、カリカリという音がしない。
みんなから愛されたハムスターだった。(父はそうでもなかった)


ダイソーで好奇心を刺激されて、無計画のままねんどを買ってしまい、そこで特に何の目的もなく、興味のあるものを作った。
ハムスターを思いついたのでそのまま作った。

思いつきで作った形は、やはり記憶の中にしぶとく残るあの子の姿が映し出されたものだと思う。キャベツが好きだった。

そういった無計画に、なんの思い入れもないまま遊びで作ったものが、まるで「帰ってきた」ような気持ちにさせ、微笑みながら豊かな気持ちにさせられるような、そういうものを作れていたということに、図らずもほっこりしてしまった。
誰かのために作ったわけじゃなかったけど喜んでもらえて良かった。自分の好き勝手にやったもので喜んでもらえて、予想外に幸せな気持ちになった。
こうやって喜んでもらうこともできるんだなぁ。

そんな後日譚でした。
ありがとうございました。


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