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2-4. Sydney!!

Tシャツ(お気に入りの色)。
ショートパンツ(暑いから)。
スニーカー(たくさん歩くから)。
パーカー(夕方寒くなるから)。

財布、スマホ、パスポート、ティッシュペーパーとハンカチ。
日焼け止め、リップクリーム、サングラス、帽子。水の入ったペットボトル、ペンと手帳。それらを放り込んだ斜めがけバッグはウルルの土埃のせいかすでにかなり汚れている。昨日空港で取ってきた無料の地図も、折りたたんでポケットに入れた。

――よし。

ホステルの急な階段を降り、Darlinghurst Streetに下り立つ。
天気は快晴とまではいかず、少し曇っていたが、そこまで寒くはなかった。目の前を大きな音を立てて清掃車が通り過ぎ、道に落ちている街路樹の葉や新聞紙を巻き取っていく。

巣から外に出た雛鳥のように私は左右を見渡した。

昨日の夜けばけばしく通りを照らしていたネオンサインは朝の空気とともに眠り込んだようで、今はバックパッカー向けのツアー会社やファーマシーの看板の方が目だつ。恐れていたほど治安の悪い場所というほどでもないのかもしれない。青と白の車体のバスが身体を揺らして通りの向こうから姿を表した。

――さて、どこへ行こう?

息を吐き、私はバッグのストラップを握った。

――ともかく、歩いてみよう。

目的地はすでに決めていたが、どうやって行くかまでは決めていなかった。バスや電車でももちろんいける場所ではあるが、Google Mapによれば歩いても30分ほどでつくはずだ。私は歩き出した。この街に、この通りに、慣れておきたかった。

Darlinghurst Streetを、北へ向かって歩く。Kings Cross Libraryの横を通り過ぎる。ホステルから歩いて10秒ほどの距離だった。そうだ、これが理由であのホステルに決めたのだと、私は自分の決断を思い出した。これからどの街へ行って何をするのか、静かな環境でゆっくり考えたり、ものを書いたりする場所が欲しくて、図書館が近いホステルなら良いだろうと思ったのだ。まさかこんな盛り場のど真ん中にあるとは思わなかったが。中へ入ろうかとも思ったが、とりあえず今日は先に歩を進めた。夕方までに帰ってこれるなら、行ってもいい。

ナイトクラブやバーに混じって、ふつうのレストランやカフェ、ファーマシー、コンビニ、ファストフード店などが並ぶ。寝起きのスウェットのまま入っていったとしても問題なさそうな雰囲気の店がほとんどだったが、それがこのエリアに来る人のニーズなのかもしれない。バックパッカー向けのツアー会社も数軒あった。バックパッカーはこのエリアに滞在して、ひとしきり夜遊びを満喫してから、次の目的地へ行くのだろう。

道がゆるやかに左手へとカーブするあたりに、少し開けた公園があり、巨大なくす玉のようなかたちをした噴水が飛沫を空中に煌めかせていた。芝生の上で犬を遊ばせる女性や、ベンチに腰掛けて新聞を読んでいる男性が見える。狭いホステルの部屋に嫌気がさしたらここへ来てのんびりしよう、と私は心の中にメモした。

あたりを浄化するような噴水のおかげなのか、このあたりから徐々に通りの雰囲気が変わり、高級そうなアパートメントや価格帯が高めのデリなどが見られるようになった。いつの間にか通りの名前もMacleay Streetに変わっている。

スーパーマーケットの角を曲がり、Victoria Streetに出ると、右手にEmbarkation Parkという公園が広がっていた。遠くにハーバーブリッジが望める。シドニー湾が見渡せて、私は少し嬉しくなった。

シドニーの地形は入り組んでいて、アップダウンも多い。次に何が来るかわからない面白さがある。こういう地形の街に住んだことは、これまでなかった。

公園の隣に、ビル4,5階分くらいはありそうな急な階段があり、私はそこを下って行った。フィットネスウェアを纏った男性が下から階段を駆け上がってくる。インスタグラムから抜け出てきたような彼の美しい肩のラインを眺めつつ、そこまで自身の身体を磨き上げるだけのストイックさが自分にはみじんもないことに、私は少し後ろめたさを覚える。

階段を下り切ると、目の前はもう海だった。無口な恐竜のように軍艦が停泊している。急な階段を降りたすぐ目の前が海だということに、あらためてここはかつて崖だったのだなと思わされる。行き交う車のエンジン音の合間に、岸壁に波の当たるチャプチャプという音が聞こえる。

海沿いの道を左手に進んでゆくと、テーマパークにあるホットドッグスタンドのような一軒の屋台があった。Harry’sという右肩上がりのネオンサインは80年代の映画のような雰囲気を醸し出している。観光スポットらしく、少し離れた場所に大型のバスが停まっており、そこからアジア系の団体客がわらわらと降りてくるのが見えた。

空腹ではなかったし、行列に並ぶのも嫌だったのでそのまま通り過ぎたものの、屋台の周りで人々が食べているホットドッグやミートパイがいかにも美味しそうで、ここも必ず来なければならないと、再び心の中にメモする。

倉庫を改装したおしゃれなホテルの横を通り過ぎ、ふたたび階段を上る。手すりの外側に植えられた、ほわほわとした綿毛のような葉をつけた木が、ここはオーストラリアなのだなと思わせてくれる。

階段を登りきると芝生が広がっており、左手に古い石造りの建物が見えた。Art Gallery New South Walesという美術館だ。ギャラリーという言葉で通常イメージされる建物の10倍くらいはありそうな規模だ。入ってみたい気もしたが、とりあえず今は当初の目的地を目指して歩き続けることにした。道路をわたり、Botanical Gardenの中に入る。木陰のひんやりとした空気が、階段を登り切って火照った身体に心地よい。

うねうねとまがりくねった園内の道を辿り、北西の方角にある出口を目指す。バラ、マリーゴールド、スイセン、そして私が名前を知らない、たくさんの見慣れない植生。植物園なのだから当たり前なのだけれど、色とりどりの花々と、時折聞こえるコカトゥというオウムの声に、南半球らしい自然を感じてうきうきしてしまう。

空は高く澄んでいる。青空にそびえる銀色の摩天楼には、日本のオフィスビルにあるようなごてごてとした看板はなく、最上階のあたりに国際的な銀行や会計事務所のロゴがちらりと見えるだけだ。平日の昼間だというのに、園内にはさまざまな人たちがいて、芝生の上で本を読んだり、ピクニックしたりしている。
美しいオーストラリアンラブラドゥードルを連れた老夫婦とすれ違った。しあわせそうな犬の表情に、思わず笑みがこぼれる。私の笑顔に気づいた老夫婦は、穏やかに微笑み返してくれた。

一歩、一歩、自分がシドニーの一部になってゆく。一呼吸ごとに私がこの国で過ごす時間がふえてゆく。この街の風景に、空気に、文化に、同化してゆく。

私はほんとうに日本を出たかったのだと、自らの足取りの軽さに私はおどろいていた。
自分がどれだけ縮こまっていたか、どれだけ固まっていたか、どれだけ息を詰めていたか、暗い部屋から外に出た時にはじめてその明るさにおどろくように、それまで私は自分の心がどれだけ乾いていたか気づいていなかった。
硬くなった粘土に霧吹きで水を与え、ぐいぐいと手のひらでこね始めるように、一足ごとに私の身体と心の中に生命力がよみがえり、息を吹き返してきたようだった。

日本が嫌だった。自分の生まれ育った国なのに、世界でも有数の先進国で、美しく清潔で安全な国なのに、私は日本が好きではなかった。ずっと住み続けたいとどうしても思えなかった。今自分がいるその先に何があるのか予想できてしまうことに、同じような人や環境や生活の繰り返しから抜け出せる可能性がほとんどないという社会構造に、失望し、うんざりしていた。暗黙のルールや、自分ではないものにならなくてはいけないプレッシャーや、主体性やオリジナリティのない人々の群れが嫌だった。

私はもう、あそこにはいない。

Mcquarie Streetに出た。通りを渡って右手に進み、海に向かってゆるやかに道を下って行く。しばらく進むと、道沿いに建っている大きなホテルの脇に、急いでいたら見落としてしまいそうな細い石造りの階段があった。まるでダンジョンのようだ。100年以上前にこの港町にやってきた人々が作った階段、その時その人たちはどんな思いでこの石を積んだのだろう?

階段を降りると、そこはすでにCircular Quayだった。目の前の柵の向こうはもう海で、その向こうに鋼鉄でできた半月型のハーバーブリッジが見える。プロムナードに沿ってパラソルの下にテーブルと椅子が並べられ、観光客がワインやビールを飲んでいる。テーマパークにあるような、期待感と非日常感がないまぜになった軽やかな空気が流れている。

レストランや土産物屋、映画館などが入った建物を右手に、海を左手にして突堤の先へと進む。ヤシの木、行き交うボート、ジェラートを舐めながら歩く人々、あぁここはシドニーなのだなと思わされる。サンダルとスニーカー以外の靴を履いている人がほとんど見当たらない。

50mほど歩くと、今日の目的地が見えた。海上を進む帆船の帆をイメージしてデザインされたというその建物は、単なる劇場にはとどまらない、この街のアイコンだ。そして私の、今日の冒険のゴールでもあった。海辺で拾った貝殻を見つめるように、私はにっこりした。

――きたよ。


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