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優等生気質ってなかなか抜け出せなくて…

平成が終わるって、今年はなんだか世間がセンチメンタルになってて、確かに私もそんな気分に引っ張られてた。でも、自分史と年号がぴったり重なるわけでもないしね。
ただ、平成の最初のころ=90年代は、カリスマがいた時代で、というか「カリスマ」が存在し得た最後の時代だったよね。
ロンバケをみんな観てて、ミリオン越えCDがバンバン出てて、そんな時代だった。
SMAPが解散して、安室ちゃんが引退して、小室哲哉も引退して、私たちの青春期のカリスマたちがいなくなっって、本当に平成が終わっちゃう……と私もなんだかセンチメンタルな気持ちもある。
もうみんなで熱狂できる存在とか、大ヒット○○みたいなものは現れなくて。
でも、そのかわり、カリスマじゃない普通の個人がWEBで表現できる可能性は広がっているし、ここ、noteで私も、カリスマじゃない自分を表に出してみるのもいいなと思った。

そして、素直に自分を表に出せないのはなんでだろう…という話についてだけど……

由香のバイオリンのお稽古の話は、私もピアノをずっと習っていたから、とてもわかる。日本の音楽教育って、音楽だけどスポ根的な部分も強くて、やっぱり音階みたいな基礎練習をすごくさせられるし、楽しむことよりも、技術を磨くことを目的にしている感じ、あるよね。
そこで身に着けた、地味な基礎をコツコツやる精神とかは、受験勉強にもつながるし、社会に出てからも役立ってきたとは思う。
でも、音楽なんだし、心から素直に楽しむってことをもっと身に着けてもよかったかなとも思うんだ。
私は高校卒業までピアノを習い続けていたけど、あまりそういう感覚はなくて、大学生になってから本当に自分の好きな音楽のCDをディスクユニオンで中古でいっぱい買って、ひとり暮らしになったし誰にも邪魔されることもないから、とにかくいっぱい聴いたの。そしてようやく、「音楽ってすごい楽しいんだ、こんなにも気持ちが高揚するものなんだ」ってわかった。

あと、由香と私は、2人姉妹の長女という共通点もあるよね。
これってけっこう人格形成に関係あると思ってて、どうしても妹と比べていいお姉ちゃんであることを求められるというか、自ら演じてしまうというか、そういう部分がある気がする。
そういう「優等生のお姉ちゃん」のキャラを自分で続けていることで、親、先生、クラスメイト、友達……そういう他者からの視線ばかり気になって、自分を素直に表現することに自信を持てなくなってしまったのかな、と思うの。
私自身に関しては「自分を素直に表に出せない」理由の一番はこれかな。やっぱり人目を気にしすぎているのかな。

その反面、そんな自分が嫌で、いわゆる世間の価値観みたいなものから自由になりたくて。それでちょっと奇抜な服を着てみたり、ファッション雑誌の編集者になったりしたはずなのに、やっぱり自分の中の優等生キャラをなかなか脱することができない、既にアラフォーなのに!

クリエイティブとしては、クオリティを追求して時間をかけてすばらしいアウトプットを提出しなくてはいけない場面と、逆にWEBみたいに即時性が大事で、パッとひらめいたことを早く出したほうがいい場面と、両方あるよね。
私たちはきっと、ひらめきや感覚で表現することを後回しにしてきてしまったんだと思うから、これからは頭でっかちな完璧主義になりすぎないようにしてもいいのかもね。

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