キナ

23歳

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愛と好意の繋がりについて

その人の好きなものは 過去に好きになった人が好きでいたもの であるとしたら その人を好きになったのと同時に その人の過去の出会いまで 肯定しているみたいで素敵だなと思った。 好きな人の好きなものが好き。 ただ、異性に対しての好意に限っては 好きな人の好きなものを知るのは好きだけど その背景は感じたくも知りたくもないとも思う。 だけど その人をそのタイミングで 好きになったのにも きっと意味があって 過去にその人が好きだった人の 好きなものを好きになったその人だからこそ

    • 人はいつでも1人だよ これは当たり前に理解をした上で この人ならばと 放った言葉に対して 改めて言われると とても心無い様で 苦しくなった 涙が止まらなくなった 人はいつでも1人だということを 1人ではない人間に言われても 自分から相手に 人はいつでも1人なので というのは良いけれども 大切な相手が自分に対して 言うのはとても心無いと思う

      • なにがあっても 人の気持ちが分からない人間にはならないし 人に寄り添えない人間にもならない。 人によって悩みの大きさも深さも幅も違う 自分にとっては小さくても 相手にとっては大きいのかもしれない それに配慮もせずに 自分の感覚だけで 言葉を与えたりはしたくない。 自分は相手じゃないことも 相手は自分じゃないことも しっかり理解できる人間じゃないと 好きじゃない。死んで欲しい。 どの角度からでも幸せになれないなら せめて、自分の好きな人たちとだけ 生きていきたい。だから自分のこ

        • 嫌い

          恋愛ではなく 人として信頼できるかもと思ったし 思わせてくれたのかと思ったけど 違くて 都合よく使われていただけだったし だったら近寄ってきてほしくなかったし なんのために優しくしてくれてたのかわからない もう会わないって言った人間に 連絡してくる意味がわからないし 知らないけど 浅はかなんだよ もうわたしの人生に近づかないでください。 もうこれ以上は 関わりたくない。嫌いです。

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        愛と好意の繋がりについて

          幸せってどんな景色なんだろう

          意地悪な人は言い返してこなさそうな人を見てやっているのだとしたら 私は言い返してこなさそうだと思われているから言われているのだと思うのも腑に落ちない 優しい訳でも協調性がある訳でもないけれども 人の気持ちを大切にはしたいと思う 意地悪な人が言い返してこなさそうな人を選んで やっているのだとしても、それまでの過程に それをやることを選ばせた人生があったのだとも考えられるとして、その人は人を傷つける人生をなぜ選んだのかを大切にしたいというニュアンス 生まれてから今までの人生で

          精神

          私は外見を評価されることが嫌い 性格や内面を好きになりやすいし 好きになってもらいたいと思っていたけれども 違った 私は、私の精神を気に入ってもらいたいのだと気がついた

          主語

          私のnoteは日記みたいだなと思うけれども 主語の数が明確に違う。 日記は主語がとても多い。 私は〜僕の人生は〜自分だったら〜 ラジオの良さはその人の表情が見えないところ。 声と言葉だけに注力ができること。 一種の音楽だと思っている。 不特定多数に届くのはラジオであり より俯瞰して考えながら聴けるため 主語をあまり感じない。 置き換えて考えることができる猶予があるから。 顔が見えない分、誰が話していて誰の体験談なのかが安定しないままに聴けるということ。 顔出しのラジオはト

          本位

          全ての人間の価値観が全く異なることを 大前提にいつも話しているつもりでも それでも理解できないときがあるし それでも理解してもらいたいと思うときがある。 極端な話 「まあ、色んな人がいるからね」 で終わる話しか人はできない。 「私も悪いんですけど」 「私が合わせればいいし直せばいいんですけど」 で始まる話は大抵誰かの良く思えない所の話で 私がよく使う前文。 これの心理って多分 ある意味自分本位なんだろうなと思って 使うのを辞めた。 誰かと協力をしたり話し合ったりすること

          辞書

          心 を辞書で引いたらどんな意味の文章で 説明されているのだろうかと考える。 意味はわかっているつもりだけれども それをどんな言葉で辞書が綴っているのか 実際に引いてみないと 正確にはわからない。 だから他者からの刺激において 心が傷ついた時は 人それぞれ みんなの中の みんなだけの心の辞書の中で生きているんだ って思う様にしている。 同じ物事や同じ言葉でも 辞書通りの理解で生きている人間がこの世にどのくらいいるのだろうか。

          朝の通勤電車で 私今生きているなと思いながら泣くことがある。 朝からそうやって自分の心と向き合える様になっているという事にも泣けてくるのだと思う。

          違い

          早めに死ねたら人生勝ちだなと思う時は 大体泣いているけれども その涙は 早く死にたい気持ちと 早く死にたいと思ってしまっている自分への涙であって、その2つの感情が両極端すぎる事に気がつき 笑えてくる時もある。 悲しいと哀しいが違う様に 生きたくないと死にたいも違う。 死にたい時は大体が消えたい感情で 生きたくない時は大体が不安な感情 死にたいな〜は、自分が犯したミスがあった時 生きたくないな〜は、他者から攻撃を受けた時 自分が他者に迷惑をかけたり やるべきことができて

          私の嫌な記憶に関わる人間が怖い 生きていてごめ

          転職して強く思うことは この人は本当に私のことを思って接してくれていたんだなっていう人が確かにいたということに しっかりと気がつけるということ。 当時はとても献身的だと思っていたけれども 辞めてから、パタっと連絡がなくなったり snsのフォローが外されたり もちろん私も然り。 連絡を一切とりたくない人やもう顔も見たくない人もいるから、snsを遮断する。 ただ、この人とはこれからも関係を続けていきたいと思う人にも気がつける。 少し距離を置いても 会いたいと思える人はいる。

          多様性

          22歳の夏に両腕に友達に入れてもらったタトゥーは 鬱症状のわたしにとって 精神を安定させた大切なものだ 母親は泣いた 添加物を与えないようにと育てたのに 自ら自分の体に害を与えたことが 許せないと 鬱が落ち着き始めた今 私も、腕を切り落としたくなる時もあれば この腕に守られているなと思う時もある この腕の模様でもし生きづらくなったり 早く死ぬのだとしても それくらいどうでもいいとは思う 人生、死にたくなるほど辛いことなんて 山ほどあって その経験を一生しながら 長生

          自分だけにしか出来ないことなどない

          自分だけにしかできない事などない。 その人ができることの替えは限りなくいると思う。 だからこそ何をやってもいいと思う。 好きなように生きればいいと思う。 専門職だったから思うのだと思うけれども 手に職をつけると 手に職をつけていない人がそれを出来ないってだけで、自分以外にもできることなのに なぜか自分はこれをしなければいけないような気持ちになる。 この世界にこれが出来るのが 自分のみというわけではないのに。 とにかく、思ったよりも仕事に対して プライドというものは必要ない

          自分だけにしか出来ないことなどない