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へい、大将。いつものやつ頼むよ

 トランペット・ジャズの名アルバムとして必ず挙がるのがブルー・ミッチェルの『ブルーズ・ムーズ』だ。一曲目の『I'll Close My Eyes』が流れてきたとき、爽やかで上質な初夏の風が小気味よく吹き込んできたのを感じた。それは昔のジャズを聴く際に感じる時代の空気、重み、緊張感とはまったく種を異にする風だった(もちろん、それが昔のジャズの良さでもあるのだけれど)。ハービー・ハンコックの『処女航海』のようにジャズの風景にまったく新しい風を吹き込むというものではない。1960年の延長線上にありながらも、制約や堅苦しさから解放された、ジャズの別天地ともいえるワン・ホーン・カルテットだった。
 

 とにかく粋で潔い。僕はふと、優れた寿司職人は包丁捌きだけで素材の旨みを引き出すという話を思い出した。ブルー・ミッチェルのトランペットはマイルス・デイヴィスに代表されるようなミュート・プレイではない。凝ったところはなく、やたらめったらにスイングするわけでもない。ただただ素朴で、匠のような実直ささえ窺える。テーマに沿ったアドリブは心地良く、「名演」と謳われる音色にただ酔いしれていたくなる。アドリブを引き継ぐウィントン・ケリーのピアノ。バックを支えるサム・ジョーンズのベースとロイ・ブルックスのドラムもきっちりはまっていて、僕らはカルテットがもたらしてくれる音楽的高揚をただありがたく享受することしかできない。

 きっともっとソロの時間を長くしたり、ドラムやベースにアドリブを与えたりすることもできたのだろうけど、6分程度の時間に収めているのが個人的にはたまらない。癖になり、何度もリピートしてしまう由縁だ。ブルー・ミッチェルの艶がかかるワン・ホーンの良さ、息の合ったカルテットの名演、憎たらしいほどに潔い終着。何度聴いても飽きることがないし、いくらでも聴かせてしまう力を持った演奏なのだ。

 左手に持ったシガレットケース。指に挟んだ煙草から出る白い煙。皺の入った白いシャツを着て、煌びやかに輝く金色のトランペットに魂を吹き込んでいる男の姿。僕はそのジャケットを眺めながら、何度でも『I'll Close My Eyes』をリピートする。ほかの演奏も素晴らしいと言われたって、しょうがないじゃないかと心の中で弁解しながら。僕は大将が捌くこの刺身の味が好きなんだから。


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